子どもは母親のおもちゃか?/「賢い子ども」の育て方【第2回】
親にとって子どもはかけがえのない大切な存在であると同時に、もっとも刺激的で面白いおもちゃでもあります。こういう人になってほしい、こんな人生を歩んでほしい――子どもに対する夢はふくらみますが、寂しい老後を送りたくなければ、子どもの本質をねじ曲げるようないじり方はしない方がいいですよというお話です。
母親にとって子どもはかけがえのない大切な存在であると同時に、もっとも刺激的で面白いおもちゃでもあります。こういう人になってほしい、こんな人生を歩んでほしい――子どもに対する夢はふくらみます。
そして、「自分が痛い思いをして産んだのだから、自由にいじくりまわしていい!」と思っている人がたくさんいます。
わたしは子どもをいじりませんし、いじろうとする親を全力で阻止します。
最近、昔の生徒と酒を飲む機会が多く、それがとても楽しいです。
昨日も29年前の生徒4人と飲みました。
彼らに共通することは、親にいじられることを拒否し、自分の人生を生きているということです。
例外はありません。
そういう生き方ができる人は間違いなく、多数派ではありません。
でも、わたしの教え子たちはみんなそういう生き方をしています。
もちろん、教え子のすべてと再会しているわけではありません。
そういう生き方をしていなければわたしに会いたいと思わないのかもしれませんね。
中学受験で失敗した子たちもたくましく自分の人生を生きています。
みんな自分の仕事が大好きで、仕事に没頭しています。
そして、 30歳を過ぎている教え子たちは男女ともに結婚をし、子どもを持っています。
つまり、極めて健全で充実した人生を歩んでいるのです。
その大事な最初の第一歩は、母親を振り切ることです。
人間の本質は変えてはいけないのです。
人間の本質は自分らしさと言い換えることもできます。
自分らしさを失うと自分らしく生きることができません。
自分らしい生き方ができなければ、一流企業に勤めて高給をもらっても、いい人生にはなりません。
わたしは今の仕事を天職だと思っていますが、教えることにはほとんど興味がありません。
面白い問題を自分で作り、それを子どもたちに与え、あとは見ているだけです。
とくに小3は90分の授業時間のうち、わたしがしゃべる時間は全部合わせても10分以下です。
子どもたちは黙々とパズルを解いているだけです。
その様子は解いているというより、戦っていると表現した方が的確かもしれません。
解けても解けなくてもどちらでもいいのです。
自分で考え、判断する。
その延長線上にその子の人生があります。
それを妨げる最大の障害物である母親を振り切ること――これは親孝行でもあるのです。
わたしは14歳のときに母親を振り切り、19歳で家を出てからは、ほとんど実家に立ち寄りませんでした。
43歳の時、15年間ぶりに再会し、それからは年に2回は会うようになりました。
ニューヨークに移住してからはさらに頻繁に実家に帰るようになりました。
寂しい老後を送りたくなければ、子どもの本質をねじ曲げるようないじり方はしない方がいいですよ。
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