学研 × 朝日新聞 キッズネット

総選挙に合わせて大きな新党が誕生 新党ってうまくいくの?

総選挙に合わせて大きな新党が誕生 新党ってうまくいくの?

日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんがヒントを教えます。
※上の図表は、2026年1月における衆議院の主な会派構成

「中道改革連合」を立ち上げ

衆議院解散を目前にして大きな勢力の新党が誕生しました。衆議院議員の数で自由民主党に次いで2番目に多い立憲民主党と5番目に多い公明党が衆議院で合流する形で「中道改革連合」という新党を立ち上げたのです。1月22日の結党大会には立憲から148人、公明から24人の計172人の衆議院議員が参加しました。これは衆議院議員196人(自民党会派は無所属議員を入れて199人)の自民党に次ぐ大きな勢力です。

2月8日に投開票される総選挙に中道からは、新人を含めて227人が立候補します。全員当選しても衆議院の過半数である233議席には足りませんが、支持が広がれば比較第1党になる可能性はあります。これだけ大きな政党が突然現れた衝撃は大きく、高市首相の高い人気から「与党がどれくらい勝つか」が焦点と思われた選挙が、一気に「与党が過半数をとれるか」が焦点になる選挙になりました。

戦後の日本の政治を振り返っても、これだけ大きな新党が誕生するのはとてもめずらしいことです。戦後の政治史の中でどんな巨大新党があり、その盛衰はどうだったのかをみてみようと思います。

いまの自民党も二つの党が一緒になった政党

戦後最大で最強の新党は、1955年11月に誕生した自由民主党(自民党)です。45年に終戦した後、政治は混とんとしていました。戦前の流れをくむ保守政党がいくつもでき、おもに政権を担ったのは日本自由党(のちの自由党)などでした。一方、社会主義によって新しい日本をつくろうという社会党や戦前には非合法だった共産党も活動の自由を得て勢いづいていました。


そうした中、保守側からは政党をひとつにして大きな政党をつくろうという「保守合同」の機運が出ていました。その機運が頂点に達したのが55年11月です。理由は社会党の左右両派の統一でした。社会党は、日本が独立を果たすサンフランシスコ講和条約に対して賛成の右派と反対の左派に分裂していました。しかし、時を経て55年10月に左右が統一したのです。


それによって日本が社会主義の国になるかもしれないという危機感を抱いた財界やアメリカの後押しもあり、わずか1カ月後に保守合同が実現しました。自由党と日本民主党が一緒になって自由民主党が結党されたのです。467の衆議院定数のうち298議席を持つ巨大政党が生まれました。このときの社会党は145議席だったので、ほぼ2対1の力関係でした。自民党と社会党が2対1くらいの力関係で並び立つ体制は「55年体制」と呼ばれました。自民党が政策を打ち上げ、社会党がブレーキ役になるという形でした。90年代になって社会党が力を失うまでこの体制が続きました。


自由と民主というふたつの価値観をあわせもつ名前の政党は幅広い国民の支持を得ることに成功し、「国民政党」や「責任政党」を自称しました。このあと、2度(90年代前半に10カ月ほど、2010年前後に3年余り)の野党時代を経験しましたが、それ以外はずっと与党であり続けて今に至っています。大成功した新党と言えます。

選挙制度の変更が誕生させた新党

自民党の結党以来当分の間、大型の新党誕生はありませんでしたが、39年後に大きな新党が誕生しました。新進党です。
94年に政治改革法が成立し、日本の衆議院議員選挙が小選挙区比例代表並立制になりました。それまでは1つの選挙区から3~5人が選ばれる中選挙区制でしたが、1つの選挙区から1人しか当選しない小選挙区制になりました。ほかに比例代表選挙も組み合わされていましたが、小さな政党では選挙区から当選者を出すのがむずかしく、イギリスやアメリカのようなニ大政党制になることをめざした選挙制度とみられていました。


その直後の政治状況としては、自民党が与党に返り咲いて社会党、新党さきがけとの自社さ連立政権ができていました。そのほかの政党はどこも議席数が少なく、小選挙区での当選がむずかしくなっていました。当選するためにはまとまるしかないということで、94年に5つほどの政党・会派が一緒になって新進党を立ち上げました。衆議院議員が178人いる大きな政党が誕生したのです。今の高市早苗首相も野田佳彦・中道改革連合共同代表も斉藤鉄夫・中道改革連合共同代表も新進党のメンバーでした。

<p>ただ、新進党は長く続きませんでした。96年の総選挙で議席を減らし、党運営への不満や不祥事による逆風などもあり、離党者が増え始めました。そして97年に解党しました。わずか3年の命でした。

一時は実現した政権交代、長くは続かず

一方で、このころもうひとつの新党の流れがありました。96年に新党さきがけを離党した鳩山由紀夫議員と菅直人議員らが集い、民主党を結成したのです。「鳩菅新党」と呼ばれました。結党時の衆議院議員は52人で、自民党や新進党よりは小さなスタートでした。しかし、新進党の解党を受けて98年には新進党の流れをくむ議員らが合流し、衆議院議員数92人の新たな民主党となりました。


民主党は2003年に小沢一郎氏が率いる自由党と合併し、さらに大きくなりました。03年の総選挙では177人が議席を獲得し、自民党に迫る勢力になりました。そして、09年の総選挙で308議席を獲得する圧倒的な勝利をおさめ、政権を獲得しました。日本も二大政党制になったかと思われた瞬間でしたが、政権内の不協和音や公約が実現しないことなどにより支持率が落ち、12年の総選挙で自民党に政権を奪い返されました。


その後、民主党は分裂し、立憲民主党や国民民主党に分かれ、そして今回、立憲民主党と公明党による中道改革連合という流れになっています。


こう見てくると、戦後にできた大きな新党は自民党、新進党、民主党、それに今回の中道改革連合の4つになります。このうち新進党と民主党は自民党との戦いに敗れ、消えてしまいました。果たして中道改革連合は長く自民党に対抗できる勢力になれるのでしょうか。注目です。
(ジャーナリスト/一色 清)

一色清(いっしき・きよし)さん

朝日新聞社に勤めていた時には、経済部記者、アエラ編集長、テレビ朝日 「報道ステーション」コメンテーターなどの立場でニュースと向き合ってきた。アイスホッケーと高校野球と囲碁と料理が好き。

PAGETOP