東日本大震災の生存者らが手話で歌を届ける音楽祭がありました

東日本大震災の生存者らが手話で歌を届ける音楽祭がありました
朝日新聞社あさひしんぶんしゃが提供ていきょうした画像がぞうを使つかっています。

6月がつ7日なのか(日曜日にちようび)、障害しょうがいのある人ひともない人ひとも一緒いっしょに音楽おんがくを楽たのしむ「とっておきの音楽おんがく祭さい」が宮城県みやぎけん仙台せんだい市しでありました。

2011年ねんに東日本ひがしにほん大震災だいしんさいがありました。宮城県みやぎけん石巻市いしのまきしの大川おおかわ小学校しょうがっこうでは、津波つなみで児童じどう74人にんと先生せんせいなど10人にんが亡なくなりました。音楽おんがく祭さいには、この時ときの大川おおかわ小学校しょうがっこうの卒業生そつぎょうせいたちのグループも参加さんかしました。大川おおかわ小学校しょうがっこうは2018年ねんに無なくなっています。

グループの名前なまえは「Team大川おおかわ 未来みらいを拓ひらくネットワーク」です。震災しんさいのことを伝つたえる活動かつどうなどをしています。代表だいひょうは只野ただの哲也てつやさんです。只野ただのさんは、東日本ひがしにほん大震災だいしんさいの時とき、大川おおかわ小学校しょうがっこうで津波つなみにのみ込こまれましたが、助たすかりました。

岩手県いわてけん盛岡市もりおかしのハンドシンガー・星ほしゆきこさんといっしょに大川おおかわ小学校しょうがっこうの校歌こうかなどを歌うたいました。ハンドシンガーは、手話しゅわで歌うたを表現ひょうげんします。

ハンドシンガーの星ほしさんは、1歳さいの時ときの病気びょうきの影響えいきょうで、耳みみがほとんど聞きこえません。その後ご、読唇どくしん(口くちの動うごきから、話はなしていることを理解りかいすること)を学まなびました。現在げんざいは歌うたっている人ひとの横よこに立たって、歌うたっている人ひとの口くちの動うごきを見みながら手話しゅわで表現ひょうげんします。

只野ただのさんと星ほしさんが出会であったのは東日本ひがしにほん大震災だいしんさいの直後ちょくごです。岩手県いわてけんの職員しょくいんだった星ほしさんがボランティア団体だんたいをつくり、被災ひさい地ちに支援しえん物資ぶっし(困こまっている人ひとを助たすけるために送おくるもの)を運はこんでいました。その時ときに、まだ小学生しょうがくせいだった只野ただのさんと出会であいました。只野ただのさんは津波つなみで祖父そふと母はは、小学しょうがく3年生ねんせいの妹いもうとを亡なくしていました。

星ほしさんは「大切たいせつな家族かぞくを失うしない、悲かなしみに暮くれる子こどもたちに出会であい、私わたしも何なにかの力ちからになりたいと思おもった。『私わたしは耳みみが聞きこえないけれど、頑張がんばっている、生いきているよ』。そう伝つたえたくて、手話しゅわで歌うたい始はじめたんです」と話はなします。その後ごも交流こうりゅうが続つづきました。只野ただのさんが家族かぞくで岩手県いわてけんに行いった時ときには、星ほしさんが案内あんないをしました。

2024年ねん「Team大川おおかわ」が「こころのつばさ」という歌うたを作つくった時とき、多おおくの人ひとに届とどけるために手話しゅわをつけようというアイデアが出だされました。只野ただのさんは「僕ぼくたちの気持きもちをきちんとくみ取とり、手話しゅわに変かえてくれるのは、星ほしさんしかいないと思おもって依頼いらいしました」と話はなします。

演奏えんそうが終おわった後あと、只野ただのさんは「歌うたや伝承でんしょう活動かつどうを通つうじて過去かこと未来みらいをつなげていきたい」と話はなしました。星ほしさんは「震災しんさいが風化ふうかしないよう、これからも手話しゅわで伝つたえていきたい」と話はなしました。

朝日新聞あさひしんぶんの記事きじをやさしい日本語にほんごに言いい換かえた記事きじです。

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