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「文芸評論」のけんさくけっか

こばやしひでお【小林秀雄】

(1902〜1983)昭和時代の文芸評論(ぶんげいひょうろん家。東京(とうきょうに生まれる。するどい評論(ひょうろんによって,文芸評論(ぶんげいひょうろんを詩や小説(しょうせつとならぶ文学にまで高めた。1929(昭和4)年,『様々なる意匠(いしょう』で評論(ひょうろん家として活動を始め,『ドストエフスキーの生活』『私小説論(わたくししょうせつろん』を書いて近代の知識(ちしき人の不安(ふあんにとりくみ,その本質(ほんしつを見きわめようとした。第二次世界大戦(たいせん後は日本の古典(こてん(ろんじた『無常(むじょうとい(事』や『(わたくしの人生(かん』『考(るヒント』などを書き,大作『本居宣長(もとおりのりなが』を完成(かんせいした。1967年に文化勲章(くんしょうを受章。

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しまむらほうげつ【島村抱月】

(1871〜1918)明治(めいじ・大正時代の文芸評論(ぶんげいひょうろん家・新劇(しんげき指導(しどう者。島根(しまね県の出身。イギリス・ドイツに留学(りゅうがくし,帰国後文筆生活に入り,自然主義(しぜんしゅぎ文学運動の指導(しどう者・評論(ひょうろん家として活躍(かつやくした。のち,女優(じょゆう松井須磨子(まついすまこ(ようして「芸術座(げいじゅつざ」を組織(そしき,海外の戯曲(ぎきょく紹介(しょうかいや自作を発表して,新劇(しんげき普及(ふきゅうにつとめた。

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ひょうろん【評論】

他人の(せつや考え方・作品などを対象(たいしょうとし,自分の感想や意見を,批評(ひひょうをまじえてのべること。また,その文章。文芸評論(ぶんげいひょうろん一般(いっぱんにものごとの優劣(ゆうれつ価値(かち傾向(けいこう批評(ひひょう(ろんずる場合にもいう。社会評論(ひょうろん政治評論(せいじひょうろんなど。

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