こたえ:700万年前にアフリカで生まれた祖先がゆっくりと進化してきました。
人間(ヒト)は、チンパンジーなどの類人猿と共通の祖先から枝分かれして進化してきました(関連記事「人間はいつ、サルから分かれたの?」)。いま見つかっている中でいちばん古い共通祖先(人類)は「サヘラントロプス・チャデンシス」で、700万~600万年前にアフリカで生活していたと考えられています1)。ここからヒトは、どのように進化し、いまのような姿になったのでしょうか。
じつは、2002年に「サヘラントロプス・チャデンシスは700万~600万年前のものとみられる」と発表される以前は、400万年前の「アウストラロピテクス・アファレンシス」がもっとも古い人類だとされていました。1974年にエチオピアで発掘された「ルーシー」という女性の化石などから、脳の大きさはチンパンジーと同じくらいの約400mLで、木登りが得意だったことなどが分かっています2)。こうした祖先を、類人猿とヒトの両方の特ちょうを持っていることから、「猿人」とよぶことがあります。
猿人は、まっすぐに立ち、2本の足で歩くことができました。この「直立二足歩行」は、人類の歴史で大きな事件です。なぜかというと、直立二足歩行することで、色々なことができるようになるからです3)。たとえば、遠くまで見わたせるようになって敵を見つけやすくなります。4本の足で立つより大きく強く見えます。2本足で立っていた方が日に当たる面積が小さくなるので、暑い草原で有利です。さらに良いのは、両手で物を持ち運んだり道具を使ったりできることです*。手先を使うことで器用になり、脳も発達したと想像できます。
200万年前になると、脳の大きさが1000mLほどの「原人」とよばれるグループが生まれます。石でできた道具(石器)を作り、火を使えるようになったため、アフリカより寒いヨーロッパやアジアでも暮らせましたが、現生人類とは別の系統で進化し、絶滅したとみられます。
同じように絶滅した人類には、40万年~4万年前にヨーロッパで生活していた「ネアンデルタール人」がいました。脳の大きさは現生人類より大きく、約1500mL。衣服を着て、動物の歯や貝がらで作ったアクセサリーを身につけ、洞窟には絵を描いていました4)。寒さのために絶滅したとみられるネアンデルタール人ですが、かれらが生きた痕跡は現代にも残っています。現生人類の遺伝子を調べたところ、ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいることが分かったのです5)。
ネアンデルタール人と同じ時代にも暮らし、やがてネアンデルタール人にかわって世界に広がっていったのが、アフリカで30万年前に出現した「ホモ・サピエンス」です6)。かれらがわたしたちの直接の祖先。1868年にフランスで見つかったホモ・サピエンス「クロマニョン人」が、現代のヨーロッパの人々の祖先の一部だと考えられています。ホモ・サピエンスがそれまでの人類とちがうのは、言葉をあやつれるようになったこと。物事を複雑に考え、さまざまな環境に対応できるようになりました。やがて、かれらはアフリカを出て、ヨーロッパやアジア、オーストラリア、アメリカ大陸へと進出していきます。
このように、ヒトがチンパンジー属と別れて進化を始めてから、何種類もの人類が生まれ、消えてきました。この道筋はとても長く、なぞを解くには化石や遺跡、遺伝子などから推測することしかできません。ですから、また新しい化石や遺跡が見つかったり、遺伝子から新たな情報を得られたりすれば、歴史は大きく変わることになります。ホモ・サピエンスは、ラテン語で「賢い人」「知恵のある人」という意味です。これからも賢い人たちは、科学で進化のなぞを解き明かしていくことでしょう。
ここまで何度も登場した「進化」という言葉。その意味を考えたことはありますか? 国語辞典を引くと「生物が、長い時間をかけて、簡単な体の仕組みから複雑で高等なものへ変わっていくこと」「ものごとが、しだいによいほうへ進んでいくこと」(三省堂『例解小学国語辞典 第七版』)と書かれています。日常では「進歩」や「発達」と同じように使うことが多いのではないでしょうか。
しかし、じっさいには、進化によって生物は複雑になることもあれば、単純になることもあります7)。ダーウィンは『種の起源』で、進化を意味する言葉として「世代をこえて伝わる変化」を使っています。
つまり、生物学や進化論でいう「進化」とは、単にその環境に適した形に変化すること。「進化した後の生物がそれより前の生物より優れている」という意味ははふくまれていません。決して、進化=進歩でも、進化=発達でもないのです。
* 直立二足歩行することで両手を自由に使えるようになったのではなく、両手を自由に使うために直立二足歩行するようになった、という考え方もあります8)。
記事公開:2021年10月
参考資料
監修者:大山光晴
1957年東京都生まれ。東京工業大学大学院修士課程修了。高等学校の物理教諭、千葉県教育委員会指導主事、千葉県立長生高等学校校長等を経て、現在、秀明大学学校教師学部教授として「理数探究」や「総合的な学習の時間」の指導方法について講義・演習を担当している。科学実験教室やテレビの実験番組等への出演も多数。千葉市科学館プロジェクト・アドバイザー、日本物理教育学会常務理事、日本科学教育学会及び日本理科教育学会会員、月刊『理科の教育』編集委員等も務める。