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もっと知りたいQ&A イスラエル・パレスチナ紛争

もっと知りたいQ&A イスラエル・パレスチナ紛争

中東(ちゅうとう)土地(とち)をめぐって(なが)(あいだ)(あらそ)っているイスラエルとパレスチナ。学研(がっけん)キッズネットでは、(あらそ)いの歴史(れきし)原因(げんいん)をまとめた記事(きじ)「1からまなべる! イスラエル・パレスチナ紛争(ふんそう)理由(りゆう)歴史(れきし)」を公開(こうかい)していますが、そこには()ききれなかったこともまだまだあります。ここでは、和平(わへい)交渉(こうしょう)背景(はいけい)日本(にほん)立場(たちば)など、さらにいくつかのポイントについて、もう(すこ)しだけくわしく紹介(しょうかい)していきます。

1からまなべる! イスラエル・パレスチナ紛争(ふんそう)理由(りゆう)歴史(れきし)

イスラエル・パレスチナ紛争(ふんそう) 現在(げんざい)状況(じょうきょう)がわかる記事(きじ)はこちら

Q: ユダヤ(じん)はどうして「自分(じぶん)たちの(くに)」をのぞんだの?

A: ユダヤ(じん)が「自分(じぶん)たちの(くに)」をほしがったのは、キリスト教徒(きょうと)(おお)いヨーロッパなどで差別(さべつ)(くる)しんでいたからです。
 
 
キリスト教徒(きょうと)(おお)いヨーロッパでは、(しん)じる宗教(しゅうきょう)(ちが)うユダヤ(じん)たちは差別(さべつ)迫害(はくがい)()(つづ)けてきました。ユダヤ(じん)(なか)には、(しん)じる宗教(しゅうきょう)をキリスト(きょう)()えたり、宗教(しゅうきょう)から(はな)れてヨーロッパ社会(しゃかい)()()もうとする(ひと)もいましたが、差別(さべつ)はなくなりませんでした。

エルサレムに(のこ)っているユダヤ(きょう)重要(じゅうよう)神殿(しんでん)外壁(がいへき)一部(いちぶ)(なげ)きの(かべ)

19世紀(せいき)には、ロシアや(ひがし)ヨーロッパで(おお)くのユダヤ(じん)(ころ)されたり、その土地(とち)から()()されたりする「ポグロム」という迫害(はくがい)()きます。また西(にし)ヨーロッパでも、ユダヤ(じん)外国(がいこく)のスパイなのではないかと(うたが)いをかけられ、差別(さべつ)される出来(でき)(こと)()きました。そうした(なか)で、ユダヤ(じん)(あいだ)に「自分(じぶん)たちの(くに)をつくろう」という「シオニズム」が(ひろ)まったのです。いくつかの候補(こうほ)()から、(おお)くのユダヤ(じん)から支持(しじ)()やすい聖地(せいち)パレスチナが(えら)ばれました。
このころ、パレスチナは、オスマン帝国(ていこく)という(くに)支配(しはい)していて、(おお)くの宗教(しゅうきょう)民族(みんぞく)()ざり()って()らしていました。19世紀(せいき)(まつ)から20世紀(せいき)初頭(しょとう)には、(かず)(すく)ないながらもユダヤ(じん)のパレスチナ移住(いじゅう)(はじ)まりました。

Q: イギリスはなぜユダヤ(じん)の「郷土(きょうど)建設(けんせつ)約束(やくそく)したの?

A: イギリスがバルフォア宣言(せんげん)で、パレスチナにユダヤ(じん)の「民族的(みんぞくてき)郷土(きょうど)」をつくることを(みと)めたのは、(だい)一次(いちじ)世界(せかい)大戦(たいせん)()つためにユダヤ(じん)利用(りよう)したかったからです。
 
 
(だい)一次(いちじ)世界(せかい)大戦(たいせん)で、イギリス・フランスは、ドイツなどと(たたか)いました。パレスチナを支配(しはい)していたオスマン帝国(ていこく)はドイツ(がわ)として参加(さんか)します。
イギリスは、「オスマン帝国(ていこく)()ったらパレスチナにユダヤ(じん)民族的(みんぞくてき)郷土(きょうど)をつくることを(みと)める」と()って、自分(じぶん)たちの(くに)をほしがっているユダヤ(けい)資産家(しさんか)戦争(せんそう)のためのお(かね)()させました。イギリスは「民族的(みんぞくてき)郷土(きょうど)」と表現(ひょうげん)していて「国家(こっか)」とは()っていませんでしたが、ユダヤ(じん)は「国家(こっか)建設(けんせつ)(みと)められると(かんが)えました。
一方(いっぽう)でイギリスは、オスマン帝国(ていこく)(よわ)らせるために、帝国(ていこく)(ない)のアラブ(じん)と「帝国(ていこく)(ない)反乱(はんらん)()こしてくれればアラブ独立(どくりつ)国家(こっか)建設(けんせつ)する」ことを約束(やくそく)しました(フサイン=マクマホン書簡(しょかん))。さらにフランス・ロシアとは、(だい)戦後(せんご)にオスマン帝国(ていこく)領土(りょうど)()けあう密約(みつやく)()わしていました(サイクス=ピコ協定(きょうてい))。イギリスがそれぞれ内容(ないよう)(ちが)無責任(むせきにん)な3つの約束(やくそく)をしたことは「三枚(さんまい)(じた)外交(がいこう)」と()ばれています。
イギリスは(だい)一次(いちじ)世界(せかい)大戦(たいせん)()ち、この3つの約束(やくそく)対応(たいおう)()われることになります。オスマン帝国(ていこく)領土(りょうど)をフランスと()けあい、パレスチナはイギリスの支配(しはい)(はい)りました。そしてパレスチナには「国家(こっか)建設(けんせつ)目指(めざ)すユダヤ(じん)大勢(おおぜい)(うつ)()みました。
アラブ(じん)には、イラクやヨルダンの独立(どくりつ)(みと)めることでつじつまを()わせようとしました。

Q: パレスチナの人々(ひとびと)はどのように(たたか)ったの?

A: パレスチナの人々(ひとびと)も、1964(ねん)設立(せつりつ)されたパレスチナ解放(かいほう)機構(きこう)(PLO)を中心(ちゅうしん)とした解放(かいほう)運動(うんどう)や、武器(ぶき)()たない民衆(みんしゅう)による抵抗(ていこう)運動(うんどう)で、イスラエルに対抗(たいこう)しました。
 
 
PLOは、(だい)三次(さんじ)中東(ちゅうとう)戦争(せんそう)(まえ)の1964(ねん)にアラブ諸国(しょこく)支援(しえん)でつくられた(かり)政府(せいふ)のようなものです。当初(とうしょ)はヨルダンに拠点(きょてん)がありました。PLOは議会(ぎかい)選挙(せんきょ)(おこな)っており、「ファタハ」などの政治(せいじ)組織(そしき)政党(せいとう)のような(かたち)参加(さんか)しています。ファタハのリーダーで、イスラエルに(たい)する武装(ぶそう)闘争(とうそう)有名(ゆうめい)になったアラファトは、その議会(ぎかい)選挙(せんきょ)(つう)じてPLOの主導権(しゅどうけん)(にぎ)りました。
PLOに参加(さんか)する組織(そしき)は、イスラエルとその同盟(どうめい)(こく)をねらって、ハイジャックをしたり武器(ぶき)使(つか)って(たたか)ったりしました。しかし、このようなやり(かた)は、PLOに拠点(きょてん)提供(ていきょう)していたアラブ諸国(しょこく)(こま)らせます。国際(こくさい)社会(しゃかい)から「テロリストの味方(みかた)をしている」と批判(ひはん)()けただけでなく、イスラエルから軍事(ぐんじ)攻撃(こうげき)()けたからです。1970(ねん)、ヨルダンは武力(ぶりょく)国内(こくない)からPLOを()()しました。その(あと)、PLOが拠点(きょてん)(うつ)したレバノンでも内戦(ないせん)となり、1982(ねん)にはイスラエルも()()んできて、PLOはレバノンからも()()されて(よわ)ってしまいました。
(だい)四次(よじ)中東(ちゅうとう)戦争(せんそう)()の1987(ねん)からはパレスチナ民衆(みんしゅう)抵抗(ていこう)運動(うんどう)であるインティファーダが(はじ)まります。インティファーダは、イスラエルが占領(せんりょう)していたガザ地区(ちく)やヨルダン(がわ)西岸(せいがん)地区(ちく)()きました。民衆(みんしゅう)武器(ぶき)()っていないため、イスラエル(ぐん)車両(しゃりょう)兵士(へいし)(いし)()げるなどして抵抗(ていこう)したのです。

Q: イスラエルとパレスチナはどうしてオスロ合意(ごうい)(あゆ)()れたの?

mark reinstein/Shutterstock.com

1993(ねん)9(がつ)、オスロ合意(ごうい)(むす)んで握手(あくしゅ)するイスラエルのラビン首相(しゅしょう)中央(ちゅうおう)(ひだり))とパレスチナ解放(かいほう)機構(きこう)のアラファト議長(ぎちょう)中央(ちゅうおう)(みぎ))。中央(ちゅうおう)(おく)仲介(ちゅうかい)(やく)のアメリカのクリントン大統領(だいとうりょう)

A: パレスチナ(じん)抵抗(ていこう)運動(うんどう)不安(ふあん)(かん)じていたイスラエル、国際的(こくさいてき)孤立(こりつ)しそうだったパレスチナ解放(かいほう)機構(きこう)(PLO)という、両方(りょうほう)和平(わへい)(すす)めるメリットがあったからです。
 
 
1987(ねん)におこったパレスチナ(じん)抵抗(ていこう)運動(うんどう)(インティファーダ)は、イスラエルが軍事力(ぐんじりょく)()さえつけても()まらず、イスラエルは地域(ちいき)占領(せんりょう)(つづ)けることに不安(ふあん)(かん)(はじ)めます。
1991(ねん)中東(ちゅうとう)地域(ちいき)では湾岸(わんがん)戦争(せんそう)という(おお)きな出来事(できごと)がありました。イラクのフセイン大統領(だいとうりょう)隣国(りんこく)クウェートに()()んだのを、アメリカを中心(ちゅうしん)とする多国籍(たこくせき)(ぐん)()(かえ)した戦争(せんそう)です。アメリカは湾岸(わんがん)戦争(せんそう)をきっかけに、中東(ちゅうとう)地域(ちいき)安定(あんてい)した地域(ちいき)にしたいと(かんが)え、イスラエルとパレスチナに(あらそ)いをやめるよう和平(わへい)会議(かいぎ)()びかけました。
イスラエルは、同盟(どうめい)(こく)のアメリカから(つよ)(せま)られて、しぶしぶ(おう)じました。
アラファトが(ひき)いるPLOもこのころ(くる)しい状況(じょうきょう)にありました。湾岸(わんがん)戦争(せんそう)(とき)、PLOはパレスチナに味方(みかた)する発言(はつげん)をしたイラクのフセイン大統領(だいとうりょう)支持(しじ)しました。そのためイラクと(おな)じく、アラブ諸国(しょこく)(ふく)(おお)くの(くに)(てき)(まわ)してしまっていたのです。
(おな)じ1991(ねん)、それぞれの事情(じじょう)からイスラエルと、PLOが(みと)めたパレスチナ(じん)代表(だいひょう)(だん)はスペイン・マドリードで(ひら)かれた和平(わへい)会議(かいぎ)出席(しゅっせき)しました。しかし、和平(わへい)には難問(なんもん)山積(やまづ)みで、会議(かいぎ)はうまくいきませんでした。具体的(ぐたいてき)には、パレスチナ難民(なんみん)がもともといた土地(とち)(かえ)権利(けんり)をどうするか、パレスチナ国家(こっか)をつくる場合(ばあい)国境(こっきょう)をどのように()くか、キリスト(きょう)とイスラム(きょう)両方(りょうほう)聖地(せいち)とされるエルサレムの(あつか)いをどうするか、イスラエル(じん)がパレスチナ(じん)土地(とち)集団(しゅうだん)(うつ)()んだ入植(にゅうしょく)()をどうするか―といったことが問題(もんだい)でした。この問題(もんだい)は、まとめて「最終的(さいしゅうてき)地位(ちい)」と()ばれています。
1992(ねん)にイスラエルの首相(しゅしょう)交代(こうたい)すると、和平(わへい)(すす)むきっかけとなりました。(あら)たに就任(しゅうにん)したラビン首相(しゅしょう)は、インティファーダの(とき)国防(こくぼう)大臣(だいじん)で、占領(せんりょう)(つづ)ける(むずか)しさをよく()っていたからです。
1993(ねん)、イスラエルとPLOは、最終的(さいしゅうてき)地位(ちい)についての解決(かいけつ)先送(さきおく)りしながらも、和平(わへい)交渉(こうしょう)(すす)めるための歴史的(れきしてき)合意(ごうい)(むす)びました。このあと5(ねん)のあいだ、パレスチナ(じん)暫定的(ざんていてき)自治(じち)(おこな)わせながら、交渉(こうしょう)(つづ)けることが約束(やくそく)されました。これが、交渉(こうしょう)(おこな)われたノルウェーの首都(しゅと)オスロにちなみ、オスロ合意(ごうい)()ばれます。

Q: オスロ合意(ごうい)はその(あと)どうしてうまくいかなかったの?

A: いちばんの課題(かだい)であった「最終的(さいしゅうてき)地位(ちい)」について交渉(こうしょう)先送(さきおく)りにしたからです。交渉(こうしょう)(すす)めていくほどに、お(たが)いにゆずりあうことが(もと)められ、それを不満(ふまん)(おも)人々(ひとびと)がイスラエルとパレスチナの両方(りょうほう)にでてきて、和平(わへい)反対(はんたい)するようになったのです。
 
 
最終的(さいしゅうてき)地位(ちい)」は、パレスチナ難民(なんみん)がもといた土地(とち)(かえ)権利(けんり)をどうするか、パレスチナ国家(こっか)をつくる場合(ばあい)国境(こっきょう)をどのように()くか、双方(そうほう)宗教(しゅうきょう)聖地(せいち)とされるエルサレムの(あつか)いをどうするか、イスラエル(じん)がパレスチナ(じん)土地(とち)集団(しゅうだん)(うつ)()んだ入植(にゅうしょく)()をどうするかといった問題(もんだい)です。
イスラエルではラビン首相(しゅしょう)がパレスチナ(がわ)(あゆ)みよったことは、イスラエルの愛国(あいこく)主義者(しゅぎしゃ)にとって裏切(うらぎ)りとみなされました。1995(ねん)、ラビン首相(しゅしょう)愛国(あいこく)主義者(しゅぎしゃ)のイスラエル(じん)青年(せいねん)暗殺(あんさつ)されます。もともと難題(なんだい)(かか)えていた和平(わへい)交渉(こうしょう)は、これによりほぼ()まってしまいました。
一方(いっぽう)、パレスチナでは、イスラム組織(そしき)ハマスがイスラエルへの武装(ぶそう)闘争(とうそう)(つづ)け、(あら)たな戦術(せんじゅつ)である「自爆(じばく)攻撃(こうげき)」を(おこな)うようになりました。
2000(ねん)にはパレスチナ(じん)による暫定(ざんてい)自治(じち)期限(きげん)(むか)えてしまい、「最終的(さいしゅうてき)地位(ちい)」の交渉(こうしょう)はまとまりませんでした。その矢先(やさき)、イスラエルの有力(ゆうりょく)政治家(せいじか)がエルサレムにあるイスラム(きょう)聖地(せいち)(おとず)れたことが「エルサレムはすべてイスラエルのものだ」というメッセージとなり、パレスチナ(じん)(はげ)しく(いか)り、イスラエルへの抵抗(ていこう)運動(うんどう)(インティファーダ)が(ふたた)()きました。

Anas-Mohammed/shutterstock.com

2023(ねん)11(がつ)、イスラエルの空爆(くうばく)破壊(はかい)されたガザ地区(ちく)のまち

1987(ねん)(はじ)まった抵抗(ていこう)を「(だい)一次(いちじ)インティファーダ」、2000(ねん)(はじ)まった抵抗(ていこう)を「(だい)二次(にじ)インティファーダ」と()ぶことがありますが、そのやり(かた)(おお)きく(ちが)います。(だい)一次(いちじ)武器(ぶき)らしい武器(ぶき)をもたない民衆(みんしゅう)(たたか)いでしたが、(だい)二次(にじ)はハマスなどの武装(ぶそう)組織(そしき)中心(ちゅうしん)になりました。ハマスによる自爆(じばく)攻撃(こうげき)がイスラエル国内(こくない)()(かえ)(おこ)なわれ、イスラエル(ぐん)圧倒的(あっとうてき)軍事力(ぐんじりょく)でパレスチナ自治区(じちく)何度(なんど)()()みました。こうして、和平(わへい)交渉(こうしょう)完全(かんぜん)(こわ)れてしまいました。
オスロ合意(ごうい)による和平(わへい)()()まり、その(あと)もアメリカを仲介(ちゅうかい)(やく)として交渉(こうしょう)再開(さいかい)への努力(どりょく)(つづ)けられましたが、うまくいきませんでした。

Q: パレスチナの自治(じち)はどうなったの?

「オスロ合意(ごうい)()のパレスチナ
出典(しゅってん):『そうだったのか!!パレスチナとイスラエル』(高橋和夫(たかはしかずお)(ちょ))をもとに編集(へんしゅう)()制作(せいさく)

A: ハマスが支配(しはい)するガザ地区(ちく)はイスラエルに封鎖(ふうさ)され、ファタハが支配(しはい)するヨルダン(がわ)西岸(せいがん)地区(ちく)はユダヤ(じん)入植者(にゅうしょくしゃ)との衝突(しょうとつ)(つづ)き、それぞれ(くる)しい状況(じょうきょう)になっています。
 
 
1994(ねん)、オスロ合意(ごうい)にもとづいてパレスチナ(じん)による暫定(ざんてい)自治(じち)(はじ)まりました。これ以後(いご)、ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)一部(いちぶ)とガザ地区(ちく)()わせた地域(ちいき)を「パレスチナ自治区(じちく)」または「パレスチナ(くに)」と()びます。ただ、パレスチナ(じん)にすべての地域(ちいき)管理(かんり)する権限(けんげん)があるわけではありません。ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)は、パレスチナ(じん)がすべて管理(かんり)できるA地区(ちく)、パレスチナ・イスラエルが共同(きょうどう)管理(かんり)するB地区(ちく)、イスラエルの統治(とうち)(つづ)くC地区(ちく)()かれています。
2006(ねん)、パレスチナの議会(ぎかい)選挙(せんきょ)でイスラム組織(そしき)ハマスが勝利(しょうり)したことをきっかけに、ガザ地区(ちく)をハマス、ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)をファタハが統治(とうち)する(かたち)でパレスチナは分裂(ぶんれつ)します。イスラエルはハマスの支配(しはい)するガザ地区(ちく)封鎖(ふうさ)したため、ガザ地区(ちく)経済(けいざい)のほとんど()()たない状況(じょうきょう)になり、人々(ひとびと)生活(せいかつ)()()められていきました。

ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)地区(ちく)にあるイスラエル(じん)入植(にゅうしょく)()のようす

ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)地区(ちく)状況(じょうきょう)深刻(しんこく)です。その原因(げんいん)は、イスラエルがユダヤ(じん)のためにつくった入植(にゅうしょく)()です。入植者(にゅうしょくしゃ)として(うつ)()むユダヤ(じん)は、()(まも)るためという理由(りゆう)武器(ぶき)()つことを(みと)められています。その入植者(にゅうしょくしゃ)一部(いちぶ)は「ヨルダン(がわ)西岸(せいがん)もイスラエルのものだ」と(しん)じており、パレスチナ(じん)危害(きがい)(くわ)えたり、家屋(かおく)()いたりする事件(じけん)()こしています。こうした入植者(にゅうしょくしゃ)暴力(ぼうりょく)は、イスラエル政府(せいふ)でさえ()めることができていません。また、ファタハも治安(ちあん)維持(いじ)する(ちから)(よわ)く、パレスチナの若者(わかもの)たちが独自(どくじ)武装(ぶそう)組織(そしき)をつくるようになっています。ガザ地区(ちく)よりも(ひと)(くち)(おお)いヨルダン(がわ)西岸(せいがん)で、ユダヤ(じん)とパレスチナ(じん)衝突(しょうとつ)(はげ)しくなった場合(ばあい)、さらに大変(たいへん)状況(じょうきょう)におちいる可能性(かのうせい)があります。

Q: アメリカの立場(たちば)は?

A: アメリカは、イスラエルを中東(ちゅうとう)地域(ちいき)大事(だいじ)同盟(どうめい)(こく)として、ずっと味方(みかた)する立場(たちば)をとっています。
 
 
4()にわたる中東(ちゅうとう)戦争(せんそう)()きていたころ、アメリカはソビエト連邦(れんぽう)(ソ(れん))と(はげ)しく対立(たいりつ)していました(冷戦(れいせん))。1967(ねん)(だい)三次(さんじ)中東(ちゅうとう)戦争(せんそう)でイスラエルが、ソ(れん)(ちか)関係(かんけい)にあったアラブ諸国(しょこく)勝利(しょうり)したため、アメリカはイスラエルに同盟(どうめい)(こく)としての期待(きたい)(つよ)めます。
当時(とうじ)のアメリカは、中東(ちゅうとう)にイランという同盟(どうめい)(こく)()っていましたが、そのイランは1979(ねん)革命(かくめい)()きてアメリカと敵対(てきたい)するようになります。それ以来(いらい)、イスラエルは、アメリカにとって中東(ちゅうとう)でのほとんどただひとつの同盟(どうめい)(こく)として特別(とくべつ)関係(かんけい)(きず)いてきたのです。
現在(げんざい)でもアメリカはいつもイスラエルに味方(みかた)(つづ)けています。2023(ねん)12(がつ)8(にち)国連(こくれん)安全(あんぜん)保障(ほしょう)理事会(りじかい)で、イスラエルに(たい)してガザ地区(ちく)での即時(そくじ)停戦(ていせん)(もと)める決議(けつぎ)(おこな)われました。15カ(こく)のうち、日本(にほん)やフランスなど13カ(こく)賛成(さんせい)しましたが、アメリカが拒否(きょひ)(けん)行使(こうし)したため否決(ひけつ)されました。
アメリカ政府(せいふ)影響(えいきょう)(あた)えようと(はたら)きかける団体(だんたい)をロビー団体(だんたい)といいますが、アメリカには「イスラエルと同盟(どうめい)することが、アメリカの国益(こくえき)につながる」と(しん)じている(ひと)たちが「イスラエル・ロビー」をつくっています。これには、ユダヤ(じん)ではないアメリカ(じん)(おお)参加(さんか)しています。この「イスラエル・ロビー」の(ちから)(つよ)いことも、アメリカがイスラエルとの関係(かんけい)をたもっている理由(りゆう)のひとつです。

Q: 日本(にほん)立場(たちば)は?

A: 日本(にほん)は、イスラエル()りの立場(たちば)()欧米(おうべい)諸国(しょこく)とはちがう、独自(どくじ)路線(ろせん)中東(ちゅうとう)外交(がいこう)(おこな)っています。
 
 
1973(ねん)(だい)四次(よじ)中東(ちゅうとう)戦争(せんそう)のとき、石油(せきゆ)産出(さんしゅつ)するアラブ諸国(しょこく)は「イスラエルに味方(みかた)する(くに)には石油(せきゆ)輸出(ゆしゅつ)制限(せいげん)する」という石油(せきゆ)戦略(せんりゃく)発動(はつどう)しました。これにより世界的(せかいてき)石油(せきゆ)価格(かかく)値上(ねあ)がりする「石油(せきゆ)危機(きき)」(オイルショック)が()き、日本(にほん)でもパレスチナ問題(もんだい)への関心(かんしん)急速(きゅうそく)(たか)まりました。日本(にほん)石油(せきゆ)値上(ねあ)がりしたり輸入(ゆにゅう)できなくなったりすることはとても(こま)るため、イスラエル()りの立場(たちば)()欧米(おうべい)諸国(しょこく)とはちがって、パレスチナやアラブ諸国(しょこく)敵対(てきたい)しないような外交(がいこう)(おこな)うようになりました。パレスチナを代表(だいひょう)する組織(そしき)であるパレスチナ解放(かいほう)機構(きこう)(PLO)の事務所(じむしょ)が1977(ねん)東京(とうきょう)開設(かいせつ)されたのも、その一例(いちれい)です。オスロ合意(ごうい)から、日本(にほん)はイスラエルとパレスチナの両方(りょうほう)安全(あんぜん)(くに)()つ「2国家(こっか)解決(かいけつ)」を支持(しじ)し、イスラエルの入植(にゅうしょく)活動(かつどう)には反対(はんたい)立場(たちば)()っています。

監修(かんしゅう)鈴木啓之(すずきひろゆき)

1987(ねん)()まれ。東京大学(とうきょうだいがく)大学院(だいがくいん)総合(そうごう)文化(ぶんか)研究(けんきゅう)()スルタン・カブース・グローバル中東(ちゅうとう)研究(けんきゅう)寄付講座(きふこうざ)特任(とくにん)准教授(じゅんきょうじゅ)博士(はくし)学術(がくじゅつ))。日本学術振興会(にほんがくじゅつしんこうかい)特別(とくべつ)研究(けんきゅう)(いん)PD(日本(にほん)女子(じょし)大学(だいがく))、日本学術振興会(にほんがくじゅつしんこうかい)海外(かいがい)特別(とくべつ)研究(けんきゅう)(いん)(ヘブライ大学(だいがく)ハリー・S・トルーマン平和(へいわ)研究所(けんきゅうじょ))を()て、2019(ねん)9(がつ)より現職(げんしょく)著書(ちょしょ)に『蜂起(ほうき)〈インティファーダ〉:占領(せんりょう)()のパレスチナ1967-1993』(東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい)、2020(ねん))、共編(きょうへん)(ちょ)に『パレスチナを()るための60(しょう)』(明石(あかし)書店(しょてん)、2016(ねん))。

文/三城俊一

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