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写真で見るキーウ 戦争のある日常 ロシアのウクライナ侵攻から2年

写真で見るキーウ 戦争のある日常 ロシアのウクライナ侵攻から2年

ロシアが西隣(にしどなり)のウクライナへ()()んで(はじ)まった戦争(せんそう)は2024(ねん)2(がつ)(まる)2(ねん)がたちました。ウクライナの人々(ひとびと)は、戦争(せんそう)をしていることを日常(にちじょう)として()()れながら、毎日(まいにち)()らしていかなくてはならない状況(じょうきょう)です。ウクライナ研究(けんきゅう)専門家(せんもんか)岡部(おかべ)芳彦(よしひこ)さんは2023(ねん)9(がつ)にウクライナの首都(しゅと)キーウを訪問(ほうもん)。キーウはウクライナの中央(ちゅうおう)()にあり、ロシア(ぐん)との(はげ)しい戦闘(せんとう)(つづ)東南(とうなん)()地域(ちいき)(くら)べると()()いた環境(かんきょう)です。公園(こうえん)には戦争(せんそう)での犠牲者(ぎせいしゃ)名前(なまえ)()かれた国旗(こっき)(なら)び、(よる)には空襲(くうしゅう)警報(けいほう)()ることもありますが、それでも街並(まちな)みは(うつく)しく、レストランやコンサートもあります。そんな戦争(せんそう)のある生活(せいかつ)様子(ようす)を、岡部(おかべ)さんに写真(しゃしん)とともにレポートしてもらいました。

なぜ?どうして?ロシアのウクライナ侵攻(しんこう)

日本(にほん)政府(せいふ)は、いまウクライナへは()かないように、またすでにウクライナにいる(ひと)避難(ひなん)するように勧告(かんこく)()しています。岡部(おかべ)さんはキーウで(ひら)かれた国際(こくさい)会議(かいぎ)と、ウクライナ最高(さいこう)会議(かいぎ)国会(こっかい))から授与(じゅよ)された最高位(さいこうい)勲章(くんしょう)名誉(めいよ)(しょう)」の受章(じゅしょう)(しき)特別(とくべつ)招待(しょうたい)()けたことから3(ねん)ぶりに訪問(ほうもん)しました。

スマホに空襲(くうしゅう)警報(けいほう)アプリ

空襲(くうしゅう)警報(けいほう)アプリの画面(がめん)。スクリーンショットを()った2(がつ)20日(はつか)11()時点(じてん)も、クリミアとルガンスクに空襲(くうしゅう)警報(けいほう)()ていて(あか)表示(ひょうじ)されていました。中央(ちゅうおう)のオレンジは地上(ちじょう)からの砲撃(ほうげき)警報(けいほう)()ている地域(ちいき)です。

ウクライナに入国(にゅうこく)するとき、「空襲(くうしゅう)警報(けいほう)アプリ」をスマホに()()みます。空襲(くうしゅう)警報(けいほう)()地域(ちいき)にいると、警報(けいほう)(おん)()って、(おし)えてくれます。キーウを(おとず)れたときも、5日間(いつかかん)で1()だけ空襲(くうしゅう)警報(けいほう)見舞(みま)われました。

ホテルの10(かい)から地下(ちか)シェルターへ階段(かいだん)避難(ひなん)したら

キーウで()まったホテルの10(かい)部屋(へや)仕事(しごと)()()

ベッドで()ていた深夜(しんや)1()、スマホが「ウーウー」と()って、()()きました。キーウの防空(ぼうくう)システムは優秀(ゆうしゅう)で、ミサイルが()んできても、ほとんどを途中(とちゅう)()()とすことができるそうです。それでも(ねん)のため避難(ひなん)することに。()まっていたのはホテルの10(かい)にある部屋(へや)地下(ちか)3(かい)のシェルターまで、寝間着(ねまき)のままで、すぐに階段(かいだん)でおりました。
(かた)(いき)をしながら、いざシェルターにつくと、そこには自分(じぶん)1人(ひとり)だけ。ほかの宿泊者(しゅくはくしゃ)(だれ)避難(ひなん)しておらず、ホテルの従業(じゅうぎょう)(いん)避難(ひなん)してきた(ひと)がいたことに(おどろ)いたようでした。従業(じゅうぎょう)(いん)はさらに「なぜ階段(かいだん)使(つか)ってきたのか」と不思議(ふしぎ)がりました。日本(にほん)では、地震(じしん)などの災害時(さいがいじ)停電(ていでん)になることに(そな)えてエレベーターは使(つか)わないのが「()たり(まえ)」です。キーウでは、エレベーターも使(つか)うし、避難(ひなん)さえしないほど、空襲(くうしゅう)警報(けいほう)()れてしまっているようでした。
自分(じぶん)だけがシェルターにいるためにホテルの従業(じゅうぎょう)(いん)(やす)めないのは(わる)いと(おも)い、1時間(じかん)もせずに部屋(へや)(もど)りました。(かえ)りは10(かい)まで、階段(かいだん)ではなくて「キーウ(しき)」にエレベーターを使(つか)いました。

犠牲者(ぎせいしゃ)たちを(おも)うたくさんの国旗(こっき)写真(しゃしん)パネル

キーウの独立(どくりつ)広場(ひろば)には、(ちい)さなウクライナ国旗(こっき)がところせましと(かざ)られています。国旗(こっき)のひとつひとつに()かれているのは、戦争(せんそう)犠牲(ぎせい)になった(ひと)名前(なまえ)などです。また街中(まちじゅう)には、犠牲者(ぎせいしゃ)顔写真(かおじゃしん)とプロフィールが()かれたパネルや、本物(ほんもの)戦車(せんしゃ)展示(てんじ)してあるスペースもあり、戦争(せんそう)(ちゅう)であることを(さい)確認(かくにん)させられます。

地下(ちか)防空(ぼうくう)施設(しせつ)(ひら)かれた国際(こくさい)会議(かいぎ)

国際(こくさい)会議(かいぎ)講演(こうえん)するゼレンスキー大統領(だいとうりょう)(みぎ)

国際(こくさい)会議(かいぎ)会場(かいじょう)は、地下(ちか)にある防空(ぼうくう)施設(しせつ)でした。国際(こくさい)会議(かいぎ)では、世界(せかい)(ちゅう)からいろいろな分野(ぶんや)専門家(せんもんか)(あつ)まって、ウクライナに(かぎ)らず世界(せかい)社会(しゃかい)問題(もんだい)政治(せいじ)課題(かだい)(はな)しをしました。ウクライナのゼレンスキー大統領(だいとうりょう)講演(こうえん)し、ロシアとの戦争(せんそう)について世界(せかい)各国(かっこく)からの支援(しえん)感謝(かんしゃ)()べる場面(ばめん)も。

意外(いがい)事実(じじつ)! 戦争(せんそう)()でも食料(しょくりょう)不足(ぶそく)とならないウクライナ

国際(こくさい)会議(かいぎ)()された郷土(きょうど)料理(りょうり)のクリミア・タタール料理(りょうり)

国際(こくさい)会議(かいぎ)提供(ていきょう)されたのはウクライナ料理(りょうり)と、クリミア・タタール料理(りょうり)。クリミア・タタール料理(りょうり)は、クリミア半島(はんとう)起源(きげん)がある先住民(せんじゅうみん)(ぞく)郷土(きょうど)料理(りょうり)色鮮(いろあざ)やかで食欲(しょくよく)をそそります。日本人(にほんじん)()べても違和感(いわかん)のない味付(あじつ)けで、おいしい。
(たと)えば日本(にほん)など、食料(しょくりょう)(おお)くを海外(かいがい)からの輸入(ゆにゅう)(たよ)っている場合(ばあい)は、戦争(せんそう)になって外国(がいこく)とのやり()りが制限(せいげん)されれば、すぐに食料(しょくりょう)不足(ぶそく)になるでしょう。ただ、ウクライナは世界(せかい)有数(ゆうすう)穀物(こくもつ)輸出国(ゆしゅつこく)で、戦争(せんそう)(はじ)まってからも()べるものに(こま)るということはありませんでした。むしろウクライナから穀物(こくもつ)輸入(ゆにゅう)できなくなったアフリカなどで食料(しょくりょう)不足(ぶそく)になるおそれがありました。

きれいな景色(けしき)世界(せかい)遺産(いさん)無事(ぶじ)

キーウのきれいな景色(けしき)戦争(せんそう)(はじ)まってしばらくはロシアからのミサイル攻撃(こうげき)などにあいましたが、被害(ひがい)箇所(かしょ)はすでに修理(しゅうり)整理(せいり)されていて、一見(いっけん)して戦争(せんそう)(あと)はうかがえません。ウクライナ各地(かくち)では文化(ぶんか)遺産(いさん)(きず)ついたケースも(おお)いですが、世界(せかい)遺産(いさん)登録(とうろく)されているキーウのペチェールシク(だい)修道院(しゅうどういん)無傷(むきず)です。

(おも)わぬところへの影響(えいきょう)

(たて)模様(もよう)()りかえられた「祖国(そこく)(はは)(ぞう)
ウクライナ西部(せいぶ)建設(けんせつ)(すす)高級(こうきゅう)マンション

(おも)わぬ戦争(せんそう)影響(えいきょう)もあります。(きゅう)(れん)時代(じだい)にキーウに()てられた、(たか)さ100m以上(いじょう)ある「祖国(そこく)(はは)(ぞう)は、左手(ひだりて)にもった(たて)(きゅう)(れん)国章(こくしょう)がついていました。侵攻(しんこう)してきたロシアへの反発(はんぱつ)(つよ)まる(なか)で、ロシアが中心(ちゅうしん)となっていた(きゅう)(れん)時代(じだい)のものとも関係(かんけい)()意味(いみ)もこめ、(たて)模様(もよう)がウクライナの国章(こくしょう)()りかえられました。
ウクライナ西部(せいぶ)のイヴァノフランキウシク(しゅう)には、キーウなど東部(とうぶ)都市(とし)からのたくさんの避難者(ひなんしゃ)がきています。そして人口(じんこう)()えたことでマンションをほしがる(ひと)(おお)くなり、高級(こうきゅう)マンションの建設(けんせつ)(すす)んでいます。また戦争(せんそう)()わったときのために、(おお)けがをしたり手足(てあし)(うしな)ったりした兵士(へいし)たちへリハビリや義手(ぎしゅ)義足(ぎそく)提供(ていきょう)する()()みも検討(けんとう)されています。リハビリや義手(ぎしゅ)義足(ぎそく)提供(ていきょう)は、日本(にほん)兵庫県(ひょうごけん)なども支援(しえん)をする予定(よてい)です。

戦争(せんそう)(なか)でも毎日(まいにち)(つづ)

ウクライナ最高(さいこう)会議(かいぎ)議員(ぎいん)たちとディナー
キーウ音楽院(おんがくいん)のコンサートの練習(れんしゅう)風景(ふうけい)
屋外(おくがい)のベンチでくつろぐファミリー

戦争(せんそう)(ちゅう)とはいえ、人々(ひとびと)はそこで毎日(まいにち)()らしていかなければなりません。レストランで食事(しょくじ)もすれば、コンサートなどの(もよお)しもあり、家族(かぞく)でのだんらんもあります。その(てん)日本(にほん)()わりません。いつくるかわからない空襲(くうしゅう)や、身近(みぢか)(ひと)(かな)しい()らせなどに(こころ)をいためながらも、それ以外(いがい)(おお)くの時間(じかん)人間(にんげん)らしく()きていたいのです。

岡部(おかべ)芳彦(よしひこ)

1973年生(ねんう)まれ。
神戸(こうべ)学院(がくいん)大学(だいがく)経済(けいざい)学部(がくぶ)教授(きょうじゅ)、ウクライナ研究会(けんきゅうかい)国際(こくさい)ウクライナ学会(がっかい)日本(にほん)支部(しぶ)会長(かいちょう)博士(はくし)経済(けいざい)(がく))、博士(はくし)歴史学(れきしがく)
日本人(にほんじん)(はつ)のウクライナ国立(こくりつ)農業(のうぎょう)科学(かがく)アカデミー外国人(がいこくじん)会員(かいいん)。2021(ねん)にウクライナ内閣(ないかく)名誉(めいよ)(しょう)、2023(ねん)にウクライナ最高(さいこう)会議(かいぎ)名誉(めいよ)(しょう)

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