「元寇」を裏づける手がかりか

「元寇」を裏づける手がかりか

漢字が確認された木の板(右)。赤外線で撮影した画像をもとにした図(左)で見ると、左上に「至元」の文字がわかります 長崎県松浦市教育委員会提供

長なが崎さき県けんの海かい底てい遺い跡せきで発はっ見けんされた木きの板いた

鎌かま倉くら時じ代だいの元げん寇こうで、元げん(いまのモンゴル)が日本にせめてきた記き録ろくを裏うらづける貴き重ちょうな手てがかりが確かく認にんされました。長なが崎さき県けん松まつ浦うら市しの海かい底てい遺い跡せきで2024年に見みつかった元げん軍ぐんの船ふねの木きの板いたを調しらべたところ、当とう時じの元げん号ごうなどが漢かん字じで書かかれていました。松まつ浦うら市し教きょう育いく委い員いん会かいが4月10日、発はっ表ぴょうしました。船ふねに直ちょく接せつ付ふ属ぞくする「文ぶん章しょう」が見みつかったのは、この木きの板いたが初はじめてです。

♣ことば 元げん寇こう 鎌かま倉くら時じ代だいに中ちゅう国ごくを支し配はいしていた元げんが日本をせめた事じ件けん。1274年の「文ぶん永えいの役えき」と1281年の「弘こう安あんの役えき」の2度どあり、どちらも元げん軍ぐんの失しっ敗ぱいに終おわりました。

(朝日小学生新聞2026年4月14日付)

PAGETOP