負けず嫌いだった子ども時代。音楽好きの少年が「クイズ」にのめりこんでいった理由【伊沢拓司さん】
世の中に存在していなかった“クイズプレーヤー”という職業を確立し、「クイズで知った面白い事」「クイズで出会った面白い人」をもっと広げたいという想いからQuizKnockを立ち上げ、さまざまなフィールドで活躍している伊沢拓司さん。
最近は、クイズを使った講演で子どもたちと対話し、学びや進路について考えを深める「QK GO」という活動にもチャレンジしています。
「エンタメに留まらずクイズの可能性を広げていきたい」と精力的に活動する彼は、どんな子ども時代を過ごし、クイズと出会ったのでしょうか。
“負けず嫌い”という言葉を覚える前にそういう性格だった
共働きの両親のもとで育った伊沢さん。幼少期は保育園に通い、園庭でサッカーやウルトラマンごっこをして遊んだり、家の近くの川で魚釣りをしたりと、一般的な子どもだったそう。
「親が熱心な巨人ファンだったこともあり、夢は野球選手。とにかくスポーツが大好きな少年でしたね。
さいたま市に住んでいたのですが、ちょうど小学校に上がる頃に浦和レッズがJ1復帰を果たしたんですよ。日韓ワールドカップもあったので、そこからはサッカーも好きで。浦和レッズのスクールに通うほどのめり込んで夢中になっていました」(伊沢さん)
その後私立小学校を受験し見事合格! ご両親はさぞ、幼い頃から勉強に力を入れていたのでは? と尋ねると意外な答えが返ってきました。
「じつは子どもの人数がものすごく多い地域に住んでいたんです。
進学予定の学校がマンモス校になるだろうということで私立を受験したので、親が早期教育に力を入れていた、なんてことは全くありません」(伊沢さん)
小学5年生になる頃には、家族の中で伊沢さんが一番算数が得意という状況に。それでもご両親は引き続きできる限りのサポートをしてくれたそう。
「僕が間違えた問題のコピーをノートに貼って復習できるようにしてくれたり。
高校生になっても『勉強しろ!』とよく言われていましたし、怒るべきところではちゃんと叱ってくれていましたね」(伊沢さん)
もともと勉強の才能があったのではと思わずにいられないエピソードですが、小学校入学後に生まれて初めて感じたコンプレックスが、何事にも1番でありたいという想いにつながっていたと続けます。
「私立小学校に入学してびっくりしたのは、みんな幼稚園出身で、僕だけが保育園出身だということ。みんなが字をきれいに書けるのが当たり前という環境で、僕だけ小学校でやっと文字を習い始めるという。
その状況が、ただただくやしくて。字をきれいに書きたいから硬筆を習いたいと、初めて親にお願いしたんです。そこから近くの習字教室に通い始めました。
人よりできないということがすごく嫌で、人よりできるようになりたいといつも思っていましたね。“負けず嫌い”という単語を覚えるより前に、そういう性格だと幼心に自覚していて(笑)。
親といっしょに野球の試合を見ていたせいか、“勝ったらうれしい負けたら悔しい”、そういう勝ち負けの価値観のようなものが根底にあったんだと思います」(伊沢さん)
大好きなサッカーへの挫折。それを支えた“勉強と音楽”
小学校入学後に夢中になっていたサッカーでも、周りとのレベルの差を痛感してくやしさを感じることが多かったそう。
「僕の周りは上手な人だらけ。こんなにサッカーが上手いのに外のクラブチームではレギュラーじゃない、みたいな話を聞くにつけ、遊びでやってる僕のレベルはどれだけ低いんだ、と気づいちゃって……。
それで小学3年生の時に、サッカー選手の夢を諦めました。
ちょうど小4くらいで部活選びがあった時も『サッカー部に入る?』と聞かれて、入らないと答えるのも悔しいんだけど、自分のレベルでは全くついていけないし……みたいな葛藤があって。
かといってその気持ちを受け入れられるほど自分は大人でもありませんし、悔しすぎて友達にも話せない。そんなモヤモヤした気持ちを、親にも言えずに1人でずっと抱えていました。
その流れで塾に入って、塾で出会った友達に会いたくて通っているうちに、彼らと戦って負けたくない気持ちからだんだんと成績が伸びてきました。ここも負けず嫌いのおかげですね」(伊沢さん)
塾での勉強を頑張る一方、小学4年生の頃はビートルズを、高学年にはMr.Childrenを繰り返し聞く、といった具合に音楽好きの少年に成長します。
「あんまり小学生が聴くもんでもないんですが、大槻ケンヂさんがボーカルを担当する筋肉少女帯にどハマりしました。
僕が好きだった『るろうに剣心』という漫画の作者が筋肉少女帯のファンで、作品の中にネタとしてたくさん登場するんですが、そのベースを知りたいという好奇心で曲を聴き始めたら、心に刺さりまくったんですよね」(伊沢さん)
なんとなく仮入部した中学校時代の「クイズ研究部」が人生の転機に
伊沢さんが、「クイズ研究部」と出会ったのは中高一貫校の部活の勧誘会。入部した理由は、じつは暇つぶしぐらいの軽い気持ちだったというから驚きです。
「サッカー選手の夢は諦めても、やっぱりサッカーが好きだったので、フットサルの部活に入部届を出しに行ったんです。
その後時間が余っていて、たまたま目に入ったのがクイズ研究部の早押しクイズ体験ブース。そこに置いてあった早押しのボタンを押したら、これが意外と面白い。
『なんか楽しいから仮入部してやってもいいぞ!暇つぶしで行ってやるか!』ぐらいの軽いノリで(笑)、入部届けに名前を書いたのがきっかけです。
フットサルでは高校生の先輩に技術的にも体格的にも勝てなかったのですが、クイズ研究部だと勝てることがある。
当時のクイズ研究部は部員も一桁で、潰れるか潰れないかの瀬戸際のような状態だったのですが、ちょっと頑張るとすぐに結果が出るという、負けず嫌いな僕にとって戦いやすい環境が揃っていたんですよね」(伊沢さん)
また、中学生時代は、クイズ研究部の仲間達とは昼夜を問わず密に過ごしたのだとか。
「放課後まで活動した後にカラオケに行くといった感じでめちゃめちゃ仲がよかったですね。帰宅後もみんなとスカイプをやっていて、クイズの仲間と寝るまで喋っている感じ。
研究部には高校生の先輩も当然いたのですが、人数が少ないので中学1年生が高校2年生とカラオケに行ったりするわけです。
自分の知らない曲もかっこいい曲も知ることができるのは、元々音楽が大好きな僕にとっては非常にありがたい環境でした。
クイズ好きがベースにあるから知的好奇心もある。カルチャー的にも優れた先輩たちと毎日話せたことは、すごく刺激的でした。ちょっぴり背伸びした気分にもなれましたしね(笑)」(伊沢さん)
「クイズに勝ちたい!」から生まれた“探究心”が今の自分に
そんなクイズ研究部の仲間たちと熱中したのが、イントロクイズ。人数が少なくお金がない部活にとって、iPod1台あれば無限にできてしまう点が、まさに神ツールだったと語ります。
「負けず嫌いな性格ゆえ、イントロクイズで勝ちたいという理由から、お小遣いを全部CDに投入して、当時持っていたiPod classicに曲を大量に入れて聞きまくっていました。
クイズはメジャーなものが出るから、みんなが知っていることが出題される世界。一方で自分はマイナーなもの、人が知らないものをかっこいいと思う性格で。
メジャーアーティストも聞くけれど、筋肉少女帯の流れもあってマイナーなアーティストの曲もたくさん聞いて……音楽については、いわゆる“こじらせ”具合を日に日に増していきましたね。メジャーも聴いてるからこそマイナーの良さを語れるぞ、みたいなことを言いながら(笑)。
よく言うと、“一人探求学習”だったと思います。ルーツをたどりながら勝手に学んでいた。 当時を振り返ると、ずいぶんひねくれた中学生だったな、とは思いますが、クイズプレーヤーとしてのあるべき姿は音楽を通して身につけた気もしますね。
結局、最短距離ばかりが王道ではなくて、音楽を通してクイズについて学び、クイズを通して学びについて学んだ……そんなふうに大人になった気がします」(伊沢さん)
取材・文/末永陽子 編集/石橋沙織 写真/鈴木謙介