2023年10月7日、中東のイスラエルに対して、パレスチナ自治区のイスラム組織ハマスがロケット弾や戦闘員を使って攻撃を仕掛けました。これを受けてイスラエルは、ハマスの拠点であるガザ地区へ戦闘機による空爆や地上部隊による報復攻撃を行いました。どちらの攻撃でも子どもを含む多くの市民が犠牲になり、特にガザ地区における犠牲者は1万8000人を超えます。じつは昔から長く争いを続けているイスラエルとパレスチナですが、今回は過去に例をみない犠牲者と被害を生んでいます。いま何が起こっているのか、みんなに分かるように、中東研究の専門家、鈴木啓之さんに教えてもらいました。
(記事公開:2023年12月19日)
1からまなべる! イスラエル・パレスチナ紛争の理由と歴史
もっと知りたいQ&A イスラエル・パレスチナ紛争
「戦闘がない=平和」ではない
いつ、どこで、なにがあった?
2023年10月7日、ハマスの戦闘員がガザ地区から突然イスラエルに侵入し、攻撃を行いました。野外音楽フェスティバルなどが攻撃されて、外国人をふくむ約1200人が犠牲になりました。さらにハマスは約240人を人質として連れ去りました。
イスラエルは報復(仕返し)として、ハマスを壊滅させるためすぐさまガザ地区への空爆を始め、10月28日には地上戦も始まりました。これらの攻撃により一般市民も巻き添えとなり、ガザ地区における犠牲者は2万8000人以上(2月20日時点)。そのうち、少なくとも5000人以上が子どもであるとも報告されています。また、街や住宅の破壊も激しく、ガザ地区の総人口の80%ほどにあたる170万人が国内避難をしいられています。
イスラエルは、「ハマスの隠れ場所になっている」として病院や学校、難民キャンプも攻撃の標的にしました。当初はイスラエルの報復を支持していた国際社会も、市民の犠牲者が多くなるにつれて批判的な声も強まってきています。
イスラエルとハマスは11月24日に一時的な休戦に合意しました。ハマスが連れ去っていた人質の一部も解放されましたが、12月1日から攻撃が再開されています。
なぜいまハマスは攻撃したの?目的は?
ハマスは、「イスラエルによるパレスチナ占領が続いていること」「イスラエルがイスラム教の聖地を攻撃していること」などを、今回の攻撃の理由としています。しかし、これらの問題は最近始まったことではなく、なぜこのタイミングで攻撃をしたのかは、正確にはわかっていません。当然予想されたイスラエルの報復に対して、ハマスが対応策を準備していた様子もありませんでした。攻撃した後のことに計画性が見えないため、今回は「大勢の人を殺害してイスラエル社会に衝撃を与える」こと、つまり攻撃そのものが目的だった可能性があります。
ハマスの攻撃は、多くの犠牲者を生みました。イスラエルによって15年以上にわたり壁で封鎖され続けていたガザ地区から、その怒りや憎しみが攻撃という形で噴出したといえるかもしれません。
戦闘はいつ終わるの?
戦闘がいつ終わるのか、すべてはイスラエル次第です。これまでのガザ地区攻撃は最長で50日間でした。過去のイスラエルの戦争を参考にすると、戦闘は長くとも数か月で終えると予想できます。短い休戦を何度かはさんだ後で、正式な停戦にいたるのがこれまでのパターンです。人質の解放もカギになりますが、これまでには人質が残ったまま停戦した事例もあります。
また、イスラエルが戦地に送っている兵士には、「予備役」という立場の兵士がいます。予備役の兵士は、ふだんは市民として仕事をしているので、あまり長期間戦闘にかりだし続けられません。目安としては3か月が限度。また、イスラエル軍の犠牲が増えると、イスラエル国内にも戦争終結を望む声が出てくるでしょう。イスラエル経済への打撃も深刻です。タイムリミットが近づいたイスラエルが、最後に攻撃の手を強める可能性もあります。
パレスチナ問題とは?
イスラエルとパレスチナの争いは、もともとは中東の土地をめぐる紛争です。パレスチナという地域にイスラエルを建国したユダヤ人と、正式な国家を持たないパレスチナ人が対立しているのです。
ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰する人々です。ユダヤ人たちは、パレスチナを信仰の上で大切な土地と考えていたため、パレスチナに移住して自分たちの国をつくろうとします。この運動を「シオニズム運動」といいます。1948年、ユダヤ人たちはパレスチナにイスラエルという国を建国しました。
しかしパレスチナには、おもにイスラム教を信仰するパレスチナ人がずっと住んでいました。土地を奪われる形になったパレスチナ人や周辺のアラブ諸国は、イスラエルの建国に反発し、これまでに4度にわたる中東戦争になりました。
4度の中東戦争は、いずれも基本的にイスラエルが有利に戦い、その結果、建国時よりも広い領域を占領しています。1993年、イスラエルとパレスチナ側は和平のために話し合いをして、締結したのがオスロ合意です。この合意の中で、ヨルダン川西岸地区の一部とガザ地区では、パレスチナ人の自治が認められました。しかし、イスラエルによる占領は続いたため、パレスチナ人による抵抗(第二次インティファーダ)と、イスラエルによる軍事報復という負の連鎖におちいりました。イスラエルは2005年にガザ地区から撤退したものの、ヨルダン川西岸地区については占領やユダヤ人の入植(集団で移住すること)が続いています。
ガザ地区とは?
イスラエルは2006年頃から、ガザ地区との壁を閉ざし、封鎖しました。人や物の行き来が厳しく制限され、「天井のない監獄」などと呼ばれます。ガザ地区は幅5~8km、長さ約50kmの細長い地域です。面積約350km2は日本の鹿児島県・種子島ほどの広さで、そこに200万人以上が住んでいます。住民の暮らしぶりは深刻です。電力不足のため汚水処理ができず、生きるのに必要な飲み水の確保さえむずかしい。仕事は限られ、失業率は47%で、住民の半分近い人が仕事に就くことができていません。住民の8割は、何らかの人道支援に頼らなければ生きていけない状況です。
ハマスってどんな組織?
ハマスは、現在ガザ地区を実質的に支配しているイスラム組織です。テロ組織とされていますが、実態は「3つの顔」があります。
ひとつは福祉組織の顔です。ハマスの元になった団体は、イスラエルがガザ地区を占領していた1970年代に、パレスチナ人が自ら立ち上げたガザの難民キャンプの若者向けスポーツクラブです。後に幼稚園の経営などもするようになります。イスラエルは占領地の治安維持しかしなかったため、福祉・教育といった市民への行政サービスを担ったのです。
二つ目は武装組織の顔です。1980年代、パレスチナ人がイスラエルに対して一斉に抵抗する「インティファーダ」という闘争が起きました。この時、福祉組織からハマスへ変化しました。「福祉を支えるだけではパレスチナの解放はできない」として、実力行使を行う武装闘争の部門も設立されたのです。ハマスが当時掲げたのは、「パレスチナ全域にイスラム教にもとづく国家を建てる」ことでした。2000年代には、イスラエルに対する多数の自爆テロ攻撃を実行しました。
そして最後の三つ目は、政党の顔です。2000年代半ば、ハマス内部でパレスチナ人の政治活動に参加しようという動きが出てきます。2006年には、パレスチナ議会の選挙に政党として参加し、巧みな選挙戦術によって圧勝しました。イスラエルとのオスロ合意でできた議会の選挙に参加したので、イスラエルの存在を事実上認めるようになったと考えられています。
ハマスは時代にあわせて、新しい顔を見せてきました。柔軟で合理的だと考えられてきた組織だけに、今回の攻撃は長期的な計画性が見えず、従来のイメージとは差があり、専門家を驚かせています。
イスラエルってどんな国?
イスラエルは、1948年につくられたユダヤ人の国です。建国後に戦争が続いたことから、「自国の脅威になる存在は自らの力で取り除く」という方針を、ずっと保ってきました。イスラエルがこれまで行ってきた戦争は、短期間で相手に大きな打撃をあたえ、最大でも数か月で戦闘を終わらせるというのが特徴です。今回はハマスの最初の攻撃によって、イスラエル側に過去に例のない犠牲が出ました。とりわけ、兵士や警察官ではない一般市民の犠牲が800人に上ったことで、イスラエル社会には激しい怒りの感情がわきおこり、ガザ地区へのとても激しい攻撃を引き起こしています。
過去を振り返ると、じつはイスラエルでも、パレスチナと対話を重視する政治家が首相になったこともあります。しかし、ここ十数年の間は、イスラエル一国の利益を優先する政治主張が強まっています。現在は、パレスチナ人との平和共存を訴える政党は選挙で議席をほとんど取れず、パレスチナに厳しい姿勢の政党が政治を動かしているのです。
大人が解けなかった問題、みんなへの宿題に
イスラエルとパレスチナの今回の戦闘は、これまでと同じく数か月で終わると考えられます。停戦すれば、社会の関心は一気に冷めていくでしょう。しかし「戦闘がないこと=平和」ではないのです。
今回のハマスの攻撃は、ガザ地区が長く封鎖され人道的にも深刻な問題が起きていたのを、世界がかえりみてこなかったために起きました。イスラエルはこれまで、ガザ地区を封じ込めておけば安全だと思っていましたが、それは幻想だと分かりました。ガザ地区を再び封鎖しても、また次の攻撃の準備が始められるだけでしょう。今後は、世界から切り離されたガザ地区を「世界に戻す」必要があるのではないでしょうか。イスラエルは、そして国際社会は、ガザ地区とどう向き合っていくのかが問われます。
日本も、戦闘後のガザ復興において、これまでのような経済的支援だけでなく、人員の長期派遣のような新しい支援を国際社会から求められるかもしれません。遠い場所での戦争だと、放っておける問題ではないのです。
イスラエルとパレスチナの問題は、大勢の大人たちが何年かかっても解けなかった難問です。いわば、みなさんに残された世界の「宿題」です。簡単に答えは出せませんが、これから世界を舞台に生きていくみなさんには、ぜひじっくり考えてほしいと願っています。
監修:鈴木啓之
1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座特任准教授。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD(日本女子大学)、日本学術振興会海外特別研究員(ヘブライ大学ハリー・S・トルーマン平和研究所)を経て、2019年9月より現職。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967-1993』(東京大学出版会、2020年)、共編著に『パレスチナを知るための60章』(明石書店、2016年)。