子どもの可能性が広がる自由研究へと導く声かけ 城戸真亜子さん(「学研・城戸真亜子アートスクール」主宰)
「学研・城戸真亜子アートスクール」を主宰している城戸真亜子さん。子どもの想像力と表現力を育む同教室での経験をもとに、子どもが主体的に取り組み、可能性を広げることができる自由研究の取り組み方や環境づくりについてお話しいただきました。
苦手だった自由研究
わたし自身は小学生のとき、「自由研究」といわれても何を研究すればいいのかわからず、すごく悩みました。とにかく自由研究は早く終わらせちゃおうとしていたので、もったいないことをしたと思っています。ちょっと後悔もしています。
工作は、本だなを作るなど、普段取り組めない作品作りに時間をかけて、はりきってやっていましたが、研究という課題のときには、大したことはやっていなかったように思います。ただ資料を読んで、上手にまとめることだけに一生懸命で。
今だったら、自分が好きなことをテーマにして、たとえば、ひとりの画家を研究して、画材はどんなものを使っていたのか、その画家のタッチで別のモチーフの絵を描いてみるとか、いろいろなことができたような気がします。
親も子も『早めにすませる』というとらえ方ではなく、『長い休みだからこそ、じっくり時間をかけて一つのテーマに向き合おう』と考えると、自由研究は深い学びができるチャンスだと思えますよね。
自分が工場長だったら何をする?!
たとえば、わたしの教室では〈自分オリジナルの飲み物を開発し、ペットボトルのデザインをする〉という課題があります。すると子どもたちは喜んで取り組むんですね。
あるいは〈自分が欲しい夢の椅子をつくる〉っていう課題では、ありきたりなものではなく、よりカラフルだったり、独創的なフォルムだったり。空を飛べたり、ケーキが出てくるスイッチがついている椅子がほしいとか、自由な発想を次々にかたちにしていきます。
自分がやりたいことについてのアイデアは、だれもが持っていて、現実に即したこういう創造活動は子どもたちを夢中にさせるのです。
夏休みの自由研究のために工場見学に行くとか、水族館に行くとか、きっかけを親がつくってあげた場合、どんな工程で製品ができるのか、とか、衛生面に気を使っているんだなといったことは学べるんですけど、そういったインプットを受け取るだけで終わらせると、自分なりのアイデアをふくらませることにはなかなかつながりません。
学ぶだけでなく、「自分が工場長になったら何しよう」とか「その工場で新製品をつくるとしたら何をつくろう」とか、そこまで考えさせるきっかけをつくってあげると、子どもたちはがぜんはりきって、その先に進むことができます。
前もって、「今日見学に行ったあとに、オリジナルドリンクを開発してパッケージも描いてみようね」とか「アイスクリームのゆるキャラを作るから、色やデザインを考えながら見学してね」って提案しておくと、フレーバーを混ぜるプロセスやパッケージに詰める過程などで、どんな工夫があるのか、一生懸命に見ようとするでしょうし、製品をより良いものにするためにどんな苦労があるのか、など、質問もいろいろ浮かんでくるのではないでしょうか。
わたしも、旅先で心が震える景色に出会ったとき、ただ漠然と眺めるのでなく、絵を描く目的で〈見つめる〉と、「ここにこんな色が眠っている」とか「ここの映り込みはこんなにきれいだったんだ」とか、眺めていただけの時には気づかなかった発見があります。描くというアウトプットをすることで、見る目が研ぎすまされていくんです。
与えられたインプットをきっかけに、自分なりに考えたり、つくったり、試したり、研究したりするというアウトプットの意識があると、感じる力が研ぎ澄まされていろんな発見や気づきが得られると思います。
声かけが子どもを目覚めさせる
わたしの教室で、ときどき絵本の1ページのようなストーリーを感じさせる絵をかく子がいます。そんなときは、本人や親に「お子さんは自分の絵から物語をつくってみたことはありますか」と聞いてみます。「この絵をもとに物語を書いてみてはいかがでしょうか」と。
その子が実際に物語や文章が得意かどうかはわかりませんが、子どもに「見る人の想像力をかき立てる絵がかけるんだね。」と伝えることで、自分にはそういう才能があるのかもしれないとうれしくなると思うのです。事実、画家やデザイナーなどアート系の人間は文学の才能がある人が多いのです。
そのような声かけをすると、子どもは自信を持つと同時に、興味の幅を広げて何かに目覚めるきっかけになるかもしれません。
評価するのではなく、認める
声かけするときに気をつけなくてはならないのは、先生や保護者は、どうしても子どもに完成度を求めてしまうということ。
でも、子どもって興味のあるところでストッと終わっちゃうんです。大人は「もう少し描けばいいのにな」と思うのですが、あとから見るとむしろその未完成さが想像力をかき立てて、見る人を感動させたり、その子の才能を感じさせたりっていうことがあって、その未完成さがいいときもあるんです。
大人から見て完成してなくても、子どもの作品は芸術として完成しているのかもしれません。だから、教室では作品のよいところを見つけるのが先生の課題です。
でも、ただほめればいいということでもありません。子どもによってはここはうまくいかなかったって思っていたりとか、やる気が全然なかったっていうこともあるので、そんなときにほめちゃうと全然見てくれてないってことになってしまいます。その子ががんばったところとか工夫したところを見逃さないっていう繊細な気持ちはすごく大事だと思います。
子ども自身が全然うまくいかないと思って気に入ってなくても、実はすごく面白い色が出ているとか、曲がっちゃってるけどこれが何か絵にすごい力を生じさせているとか、自分が感じたことを伝えることも大切です。
先生は評価するんじゃなくて、自分自身が感動するっていうか、鑑賞するっていう気持ちで見るんです。それは、子どもの考えや発想や感性を認めてあげるということです。
子どもが安心できる環境を
そのことは、親子の関係でも同じだと思います。そして、その前提となるのは、子どもにとって家庭が安心できる場所であるということです。安心して絵がかける、安心して本が読める、安心して勉強ができる――そのために親は子どものいちばんの理解者であるということが大事かなと思います。
そうはいっても現実には、子どもをしつけるためにやらなければならないこともあるし、ときには叱らなければならないこともあるし、簡単ではないときもあると思います。
でも、子どもと心を合わせるというか、子どもの楽しいという気持ちを共有したり、子どもが悩んでいることに気づいてあげられることは、やはり大切だと思います。
可能性を広げる声かけ
夏休みの自由研究をいっしょにやるときには、作品を評価して手直しをさせるような声かけではなく、可能性をひろげられるような声かけをしたいですね。
たとえば、工作でタワーをつくった子どもがいたら、ほかの国のタワーもつくってみたらと促してみるとか、それをきっかけに建築とか、構造について簡単に教えてあげられることがあれば教えてあげるとか、いろいろな面白い建物が世界にはあるんだよってネットで見せてあげるとか、その子の興味ありそうなことを広げてあげられるといいですね。
それが形にならなくても、可能性を広げるアプローチができれば。
科学の実験をやるときにも、想定している結果通りになるようちゃんと導くということも大事なのかもしれませんが、子どもによっては、なんでこのとき煙が出たんだろうとか、結果とは関係ないところに興味を持つ子がいるかもしれません。そういうときは、その興味を伸ばしていくことを考えてみてもいいと思います。
ふだんなら宿題を終わらせるために早く早くと言ってしまうところですが、せっかく時間にゆとりがある夏休みですから、親もゆったりと子どもにつき合えるといいですね。
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