645(大化1)年に始められた政治改革のこと。中大兄皇子や中臣(藤原)鎌足らが中心となっておしすすめた。
〔蘇我氏を打倒〕
聖徳太子の死後,
蘇我氏が
勢力を強め,太子の子の
山背大兄王とその一族をほろぼすなど,
天皇家をしのぐほどの力をもつようになった。
中大兄皇子(のちの
天智天皇)や
中臣鎌足らは,中国(
隋や
唐)で
政治や文化を学んで帰国した
留学生とともに,
天皇を中心とする中央
集権国家の
建設をめざし,645(
大化1)年に
蘇我氏をたおし,
政治の
改革に着手した。
〔改新の基本方針〕
改革の
目的は
翌年だされた
詔に
示され,
(1)公地・
公民(
豪族が
私有していた土地・
人民を国家が
直接支配する),
(2)
班田収授法(
戸籍をつくり,公地を
公民に分けあたえ,死ぬと国に返させる),
(3)
国郡制度(全国を国と
郡に分ける),
(4)
租・
調・
庸の
税制(
公民に
税や
労役を
負担させる)などを定めた。この
改新の
詔は,のちの
律令国家の出発点をなすものであったが,これが
実現するには,なお数十年の年月を
必要とした。
年代暗記
大化の
改新を行う…
無事故(645)で世づくり
大化の
改新