1931(昭和6)年,満州(今の中国東北区)でおきた日本軍と中国軍との武力衝突。実質的には日本軍による中国への侵略戦争。
満州事変のぼっ発
世界恐慌の影響で日本経済は深刻な不景気にみまわれ,軍部の間に,満州を植民地化して危機をのがれようとする動きが強まった。一方,中国では二十一か条の要求以来,排日運動が高まっていた。こうしたなかで,1931(昭和6)年,関東軍(満州にあった日本軍)が奉天(今の瀋陽)郊外で鉄道爆破事件(柳条湖事件)をおこし,これを中国軍のしわざだとして強引に開戦した。日本政府の不拡大方針にもかかわらず,関東軍はこれを無視して戦争を広げ,全満州を占領した。
年代暗記
満州事変がおこる…いくさ一(1931)番,柳条湖
満州国の成立
1932(昭和7)年、日本は満州を形式的に独立させ、満州国を成立させた。中国のうったえで、国際連盟はリットン調査団を派遣し、日本軍の行動を不当とし、満州国もみとめなかった。このため、1933(昭和8)年、日本は国際連盟を脱退した。満州事変から太平洋戦争終結までの15年間、日本と中国との戦いがつづいた。