「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産へ 飛鳥時代ってどんな時代?
国内27件目の世界遺産
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に「飛鳥(あすか)・藤原(ふじわら)の宮都」(奈良県)が登録される見通しになりました。事前審査をする諮問機関が登録を勧告し、7月19日から韓国・釜山で開かれる世界遺産委員会で最終的に決定されるとみられます。
日本国内の世界遺産は26件あり、登録が決まれば27件目となります。世界遺産になれば、人類共通の財産として国や自治体が開発から守り、積極的に保存します。観光地としての知名度も一気に上がり、たくさんの観光客がやってくるようになります。住民の郷土愛も高まるでしょう。そのため、世界遺産への登録を望む地域はたくさんあります。
そうしたなかで「飛鳥・藤原の宮都」が選ばれたのはどうしてでしょうか。それは、日本という国の成り立ちがわかる飛鳥時代の遺跡であるところが評価されたと考えられます。では、飛鳥時代とはどんな時代だったのでしょうか。
日本の歴史には時代を区分して名前が付けられています。古い順から並べると、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国・安土桃山時代、江戸時代となります。その後の明治時代、大正時代、昭和時代は元号による区分だけでなく、まとめて近代という大きなくくりでとらえることもできます。
これまで世界遺産になっている古い日本の遺跡としては、縄文時代の「北海道・北東北の縄文遺跡群」、古墳時代の「百舌鳥・古市古墳群」、奈良時代の「古都奈良の文化財」があります。今回は飛鳥時代なので、古墳時代と奈良時代の間を埋める世界遺産になります。
飛鳥時代は「飛鳥」と「藤原」と呼ばれた地域(現在の奈良県橿原市、桜井市、明日香村)に都がおかれた時代です。592年に女性天皇である推古天皇が飛鳥の地で即位し、その後、藤原に都が移り、710年に平城京(現在の奈良市と大和郡山市)が都となるまでの約120年間を指します。
日本の歴史の教科書で具体的な人名がたくさん出てくるようになるのは飛鳥時代からです。古墳時代ははっきりとした歴史の記録がない謎の多い時代ですが、奈良時代に完成した日本書紀の記述などから飛鳥時代の歴史はかなりはっきりしています。
律令国家の成立につながる資産
飛鳥時代で覚えておくことは大きく分けて3つあります。まずひとつは、日本という国の形ができた時代だということです。古墳時代までは、有力豪族たちの連合政権のようなものだったと考えられます。つまりまだ国といえるまとまった段階ではなかったということです。
飛鳥時代になると、中国大陸の隋(ずい)や唐や朝鮮半島との交流が盛んになります。中国大陸には飛鳥・藤原から遣隋使や遣唐使が派遣されました。また、中国や朝鮮半島からも渡来人とよばれる人たちがやってきました。そうした人たちによって中国の制度や技術や文化が導入されました。そのひとつが律令制度です。律は今の刑法にあたり、令は行政組織や官吏の勤務規定や人民の租税や労役などの規定です。こうした律令制度によって初めて中央集権的な国の形ができたのです。律令国家の成立です。日本という国名もこの時代に使われ始めたとされます。
今回の世界遺産は19の資産で構成されていますが、そのうちの飛鳥宮跡(明日香村)と藤原宮跡(橿原市)は、天皇の住まいと政治をおこなう場所の跡です。律令国家の成立につながる資産ということです。
ふたつめは、仏教の伝来です。仏教はインドで誕生し、中国・朝鮮半島を通って6世紀中頃に日本に伝えられました。ただ、すぐには受け入れられませんでした。飛鳥時代の2大勢力だった蘇我氏と物部氏が仏教の受け入れについて対立したのです。賛成派の蘇我氏と反対派の物部氏が戦い、蘇我氏が勝ったことで、仏教が受け入れられました。そして、急速に広がっていきます。
今回の資産の中には、日本で初めての本格的仏教寺院である飛鳥寺跡(明日香村)、蘇我氏が建てた寺である山田寺跡(桜井市)、中国・朝鮮半島から渡ってきた豪族の中心地に建てられた檜隈寺跡(明日香村)などの寺院跡が7つも含まれています。
不思議な石の遺跡
みっつめは、文化が花開いたことです。渡来人によってもたらされた文化や技術には西アジアやインドやギリシャともつながる特徴があり、そうした影響を受けた寺院や仏像が飛鳥や藤原の地にたくさんつくられました。のちに飛鳥文化といわれる文化です。
今回の世界遺産の資産には、高松塚古墳(明日香村)やキトラ古墳(明日香村)が含まれています。高松塚古墳には男女それぞれの人物群像などが描かれた極彩色の壁画が残されています。中国の古くからの思想に基づいた図柄です。キトラ古墳には東アジアで今も残るもっとも古い天文図が壁に描かれています。この天文図は中国で観測されたものであることが分かっています。
石を使った遺跡が多くあるのも特徴です。石造文化と言ってもいいかもしれません。今回の資産に含まれているものでは、巨大な石で造った石舞台古墳(明日香村)があります。縦、横約50メートルの大きな墓で、蘇我馬子の墓ではないかと言われます。酒船石遺跡(さかふねいしいせき、明日香村)も含まれています。テーブル状になった巨石の表面にだ円形のくぼみとそれをつなぐ溝が掘られています。天皇によるまつりごとに使われたものという説が有力ですが、酒づくりや薬づくりに使われたなどいろいろな説があります。
わたしは学生時代、漫画家の手塚治虫さんが少年マガジンに連載した「三つ目がとおる」という漫画で奈良県の飛鳥地方に不思議な石の遺跡がたくさんあることを知りました。漫画に感化されて飛鳥地方に行き、自転車を借りて遺跡を回ったことがあります。石舞台には「あんなに大きな石をどうやって載せたのだろう」、酒船石には「何に使ったのだろう」、亀と思われる亀石や猿と思われる猿石には「なぜ作ったのだろう」などという謎を感じました。世界遺産に登録されると、多くの人が訪れ、飛鳥時代の人たちのことを考え、ちょっと不思議な気持ちになるのではないでしょうか。











