「子どもにとっての幸せって?」子どもの大学受験を通して感じたこと/くやまない、悩まない、自分を責めない――心がラクになるアドラー流子育て【第2回】
子ども本人の課題を親が奪ってしまっては、自立を妨げることになります。幸せは、本人がつかんでいくものであって、親が与えるものではありません。
結果は、一人は国立大学に現役合格。そして、もう一人は第一希望の国立大学に不合格。その後、彼は後期試験にも臨みましたが、残念ながら手が届きませんでした。私立大学には合格していたのですが、やはり第一希望の大学にもう一度チャレンジしたいと浪人することに。
正直言って、わたしは浪人して欲しくありませんでした。主に経済的な理由からです。これから三人の息子に高額な学費がかかることを考えると、不安な気持ちをふり払うことができなかったのです。
また、つい先日、この3月に同じく浪人することを決めた娘さんを持つお母さんと、たまたまお話しする機会があったのですが、その方はこうおっしゃっていました。「娘の浪人には今も納得していない。大学なんてどこでも入ってしまえば同じなのに、どうしてうちの娘にはそれがわからないの?」と。
このお母さんの言っていることにも一理あるなあと思いました。親として共感する部分がありました。子どもにとっての幸せを考えた時、良い大学に進学することだけが人生のすべてではないはずです。
さて、これを読んでくださっているあなたにとっては、まだ先のことかもしれませんが、近い将来のために、ここでいっしょに考えてみませんか?
こんな時、あなたならどうしますか?
保護者のみなさんの共通の願い、それは子どもの幸せだと思います。子どもの将来を心配するからこそ、あれこれと口出ししたくもなるのだと思います。受験勉強をしなければならない時期に、遊んでばかり、寝てばかりいたら、ついつい叱りたくもなってしまうのが親心。
そして、近い将来、ご自分のお子さんが第一希望の大学に不合格となり、もう一度チャレンジするために浪人したいと言ったら、あなたはどう対応しますか?
その課題は誰の課題ですか?
ここで考え方のヒントとなるのが、アドラー心理学です。アドラーは「それが誰の課題(問題)であるか」を明確にすること=「課題の分離」を提案しています。つまり、その問題に取り組まなければならないのは誰なのかを、しっかり把握するということです。勉強しないで困るのは、一体誰なのでしょう? 浪人しても受かる保証はありません。それを決めたことに、最終的に責任を取るのは誰なのでしょうか?
もうお分かりですよね。そうです! それは本人なのです。確かに、経済的なことで親も困るということは考えられますが、それはまた別の問題。すべては本人の意思であり決定であるということなんですね。
よく、受験に失敗させたくないから、子どもに「勉強しなさい」と、ガミガミ言ってしまうという保護者の話を聞きます。多くの保護者のみなさんが同じような経験をされていることと思います。でもそれは、本当に子どものためなのでしょうか。もしかしたら、おとなの都合で子どもを動かそうとしていないでしょうか?
アドラーは、「失敗から学ぶ」ことの大切さも教えています。もし、勉強しなかったことで受験に失敗するのであれば、それは本人の課題であって、親の課題ではありません。
そして、その失敗が経験となり、次へのステップになるとアドラーは考えるのです。
子どもの課題を親が肩代わりしない
わたしも今では、浪人するという息子の決意を本人の課題としてしっかり受け止め、この1年間見守っていこうと覚悟を決めました。本人の課題を親が奪ってしまっては、自立を妨げることになると気づいたからです。幸せは、本人がつかんでいくものであって、親が与えるものではない。今は心からそう思います。
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