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**せいとうせいじ【政党政治】

議会(ぎかいで多数をしめる政党(せいとう内閣(ないかくをつくって行う政治(せいじ。1898(明治(めいじ31)年に大隈重信(おおくましげのぶ板垣退助(いたがきたいすけ憲政党(けんせいとうによる最初(さいしょ政党内閣(せいとうないかく隈板内閣(わいはんないかく)を組織(そしきしたが,本格的(ほんかくてきなものではなかった。1900(明治(めいじ33)年になると,政党(せいとう必要(ひつようをみとめた伊藤博文(いとうひろぶみ立憲政友(りっけんせいゆう会をつくって内閣(ないかく組織(そしきしたが,これまた本格的(ほんかくてき政党内閣(せいとうないかくとはいえなかった。大正時代(1912〜1926年)に入り,護憲(ごけん運動や民主主義(みんしゅしゅぎをもとめる動きが高まり,1918(大正7)年に原敬(はらたかし最初(さいしょ本格的(ほんかくてき政党内閣(せいとうないかく組織(そしきした。その後1924(大正13)年,護憲(ごけん3派連立(ぱれんりつ加藤高明(かとうたかあき内閣以後(ないかくいご民政党(みんせいとう立憲政友(りっけんせいゆう会が交代で内閣(ないかく組織(そしきすることが常道(じょうどうとなった。しかし,1932(昭和7)年の(一五事件(いちごじけん犬養毅(いぬかいつよし内閣(ないかくがたおれて,8年間つづいた政党政治(せいとうせいじは終わり,以後(いご軍人(ぐんじん官僚(かんりょう内閣(ないかくがつくられた。政党政治(せいとうせいじ復活(ふっかつしたのは,第二次世界大戦(たいせん後の1945年11月のことである。

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