こたえ:政治の仕組みや、社会を支える制度・技術などで手本としています。
イギリスと日本の結びつきは、1600年、イギリス人航海士のウィリアム・アダムズ(三浦按針)の乗った船が、九州の豊後国(今の大分県)に流れ着いたことが最初です。アダムズは徳川家康につかえ、外交顧問を任されました。家康の死後は、江戸幕府が鎖国政策を取ったこともあり、イギリスとの関係は途絶えました。1854年に日英和親条約が結ばれたことが、国交の始まりです。
幕末から明治時代には、進んだ西欧文化や技術を取り入れるため、日本からイギリスへ人材を留学させたり、たくさんのイギリス人が政府にやとわれたりして、日本の近代化に大きな役割をはたしました。
1902年には、満州(中国東北部)・朝鮮に進出していたロシアに対抗して、日英同盟を結びました。第二次世界大戦で敵対しましたが、大戦後のサンフランシスコ条約によって日英関係は正常化しています。
経済での結びつき
日本にとってイギリスは、輸出先として世界16位、輸入先として26位です1)。
日本からイギリスへは、自動車、金、航空機エンジン部品、農林水産物としてウイスキーなどを輸出しています(2022年)2)。
イギリスから日本へは、航空機用エンジン、医薬品、自動車、農林水産物としてウイスキーなどを輸入しています(2022年)3)。
イギリスは2020年1月末でEUを離脱し、日本とEUで結んでいた貿易などの経済ルールから外れました。そのためEU離脱後に、日本とは個別のルールを結びました。またイギリスは、日本など11か国が参加するTPP(環太平洋パートナーシップ)協定に2023年内の加盟を予定しています。
文化・スポーツでの結びつき
幕末から明治時代には、日本の近代化を進めるために、欧米から多くの技術者や知識人が招かれました。その中にはイギリス人も多く、彼らは鉄道の開通・運行などを支えました。
イギリスは、劇作家のシェークスピアやロック音楽グループのビートルズ、推理小説家のアーサー・コナン・ドイル、映画監督のヒッチコックらが生まれた国です。日本も、イギリスの文学、演劇、音楽、映画から、たいへん大きな影響を受けました。
スポーツを見ると、ラグビーやサッカーなどがイギリスで生まれたり発展したりしています。これらも日本に伝わり、広まっていきました。
政治・軍事での結びつき
日本とイギリスはともに、地球規模の課題について話し合う先進国の集まりG7の構成国として友好関係をたもっています。
今の日本の政治は「議院内閣制」といい、イギリスで誕生し発達した制度です。国会の信任を受けた内閣が最高機関として政治を行う一方で、国会からの信任がなくなれば、その内閣はやめなくてはならず、あらたな内閣がつくられます。
政治制度以外に国民の安心や安定を支える社会保障制度もイギリスを参考にしています。「ゆりかごから墓場まで」とも言われるイギリスの整った社会保障制度は、日本以外にも多くの国の模範になりました。
軍事面では、明治政府が旧日本海軍をつくったときに、手本としたのはイギリス海軍でした。
近年は、安全保障面で防衛装備や技術の協力を進める協定を結んだり、イギリス艦船と自衛隊との共同訓練も実施されたりと、その結びつきを強めています。
皇室と王室
日本の皇室とイギリス王室は、明治時代から150年以上の交流の歴史があります。第二次世界大戦後は、イギリス王室側が手を差し伸べる形で、皇室との交流が戻りました。この交流の再開は、敵国となった両国間の関係改善によい影響をあたえました。いまの天皇陛下も学生時代におよそ2年間のイギリス留学を経験しています。
出典
参考資料
監修者:井田仁康
1958年、東京都生まれ。筑波大学人間系長、教授。博士(理学)。日本社会科教育学会長、日本地理教育学会長などを歴任。社会科教育・地理教育の研究をおこなっている。編著書に『読むだけで世界地図が頭に入る本 世界212の国と地域が2時間でわかる』(ダイヤモンド社)、『高校社会「地理総合」の授業を創る』(明治図書)。監修に『オールカラー 楽しく覚える! 世界の国』(ナツメ社)、『地図でスッと頭に入るアジア25の国と地域』(昭文社)などがある。