こたえ:医学・憲法などでドイツを手本とし、芸術・食などの文化を取り入れています。
日本とドイツの正式な結びつきは、1861年に当時のプロイセン王国と日普通商修好条約を結んでからです。明治時代から第一次世界大戦までの間は、政治や軍事、法律、工業、医学、哲学などの分野でドイツが手本でした。医学においては、日本でも診療カルテをドイツ語で書く習慣が長く続くなど、特に大きな影響を受けました。
第一次世界大戦では敵国の関係になり、多くのドイツ人が捕虜として日本に連れてこられました。第二次世界大戦時には同盟関係でした。大戦直後、日本は連合国占領後のドイツとは、国交断絶状態にありました。ドイツが西ドイツと東ドイツに分断される中、1952年のサンフランシスコ平和条約発効によって西ドイツと国交を再開。日本と西ドイツは大戦後、ともにアジアと西ヨーロッパで最大の経済大国となる復興を果たします。東ドイツとは遅れて国交をもち、1990年にドイツが統合されてからも、友好関係をたもっています。
経済での結びつき
日本にとってドイツは欧州最大の貿易相手国で、ドイツにとって日本は中国に次ぐアジア第2位の貿易相手国です1)。
日本の輸出先の世界8位、輸入先の12位が、ドイツです(2022年)2)。
日本からドイツへは、自動車、半導体などの電子部品、化学製品、農林水産物としては緑茶などを輸出しています(2022年)3)。
ドイツから日本へは、自動車、医薬品、半導体などの電子部品、農林水産物としてはチーズなどを輸入しています(2022年)4)。
文化・スポーツでの結びつき
江戸時代に西洋医学を広めた長崎・出島のオランダ商館医のシーボルトはドイツ人でした。シーボルトはオランダに帰国後、日本についてまとめた『日本』も出版しました。
ソーセージやバームクーヘンなどのドイツの食文化は、第一次世界大戦時のドイツ人捕虜から日本にもたらされました。
ドイツではバッハ、ベートーベン、ブラームスといった音楽家や、カントなどの哲学者が活躍し、日本をはじめ世界中に影響をあたえました。フォルクスワーゲン、メルセデスベンツ、BMWといった高級自動車は、日本でも人気です。ドイツのグリム兄弟がまとめた『グリム童話集』には、「シンデレラ」「白雪姫」など日本でもよく知られるおとぎ話がたくさんあります。
1964年の東京オリンピックへ向けたサッカー日本代表強化のために、初めての外国人コーチとして招かれたクラマーは「日本サッカーの父」といわれます。ドイツのプロサッカーリーグには、欧州5大リーグ(スペイン、イングランド、イタリア、ドイツ、フランス)のうちで、もっとも多い日本人選手が所属しています(2022-2023シーズン)5)。
政治・軍事での結びつき
日本とドイツはともに、地球規模の課題について話し合う先進国の集まりG7の構成国として友好関係をたもっています。安全保障面でも共同研究・開発などで協力関係を築いています。
明治時代につくられた大日本帝国憲法は、ドイツのプロイセン憲法を参考にしてつくられました。
第一次世界大戦では敵対関係となり、日本は、ドイツの中国での拠点・青島を攻めて、占領しました。第二次世界大戦ではイタリアを含めて日独伊三国同盟を結びました。
出典
参考資料
監修者:井田仁康
1958年、東京都生まれ。筑波大学人間系長、教授。博士(理学)。日本社会科教育学会長、日本地理教育学会長などを歴任。社会科教育・地理教育の研究をおこなっている。編著書に『読むだけで世界地図が頭に入る本 世界212の国と地域が2時間でわかる』(ダイヤモンド社)、『高校社会「地理総合」の授業を創る』(明治図書)。監修に『オールカラー 楽しく覚える! 世界の国』(ナツメ社)、『地図でスッと頭に入るアジア25の国と地域』(昭文社)などがある。